不等価交換はじめませんか? ~ 人間を多角的に捉えるニュージーランドのフラワーエッセンス!  Vol50~

私の友人でフィジーという国で英語学校を運営されている永崎裕麻さん。
世界幸福度ランキング一位の国から「幸福ってなに?」ということを発信されています。
そんな永崎さんが書かれた記事の中に面白いものがありました。

「僕らが執着してしまっているものの正体は?」という記事です。
執着という言葉は、私たちの講座やセッションの中でも時折出てきます。
では、どんなことに執着しているのでしょうか?

 

まずはこちらの記事をご覧ください。

https://www.lifehacker.jp/2019/03/eudaemonics-in-our-era-volume-7.html?fbclid=IwAR3EusQL1gBmVcM38xzlypN_ZSoNC8ImrgxZbBXDUgFclfej5zf4did5tDE

いかがでしょうか?
等価交換と不等価交換という言葉は私にとっては少し新鮮でした。
これを少しフラワーエッセン的視点で見てみたいなと思います。

買ったものが何かを聞かれる。
そしてその数を聞かれる。
今買ったものを「ちょうだい」と言われる、しかも過半数以上の数を。
そして後日、それがお礼として返ってくる。
しかし渡した数よりはるかに少ない。

私たちの普段の生活の中では、ほぼ体験できることではない内容が次から次へと出てきます。
そんな中で裕麻さんが目につけたことが「お返しは同じ価値で当たり前」ということへの執着です。

これって、本当にそうだなって思いました。
私たち日本人の価値観や道徳観の中に、この「等価交換」への執着があり、それを「マナー」とか「礼儀」とか「心遣い」と表現しています。
そして彼はこうしたアンバランスに慣れていくこと、つまり気にしない「心」を持てるようになると幸せを感じられるようになると締めています。

 

まさに、裕麻さんのいう通りのような気がします。

ギブアンドテイクという概念は固執すればジャッジメントになります。(だから道徳なんでしょうけど)、記事ではライムという物質が例に挙げられていました。
一番わかりやすいですよね。

ライムを6個渡したんだから、今度はライムを6個、あるいはそれに相当する「貨幣価値」のあるものを受け取ることが「普通」、と道徳上は教えます。
これと同じ状況を私たちは「サービス」においても感じることがあります。
今回は私が食事を作ったんだから、今度はあの人が作るのが「マナー」というようなことです。
そしてこれらが成立しない場合、「なんで私ばっかり?」と腹が立ってきてしまうのです。

さて、話をフラワーエッセンス的視点にしてみましょう。
そうすると、自分が投げたものは必ず自分に返ってくる、という法則があります。
場合によってはそれがさらに大きなものになって返ってくるという宇宙の法則です。
普通に返ってくれば「等価交換」です。

宇宙の法則らしく、大きくなって返ってくれば、逆の意味で「不等価交換」になります。
ただ、この法則の場合、同じモノが返ってくるのではなく、同じ価値のモノやコトが返ってくるという意味です。