【宗像三女神のご神威】六嶽神社に秘され、その神髄をあらわし始めた三女神

三女神のミッションはまず、邪を祓うという事なのです。 タダ祓うだけではなく鎮魂(ちんこん)し、その後宝物に変えていく、というお働きがあるのです。

前回は宗像三女神が幼少期に育てられた宇佐神宮奥宮 大元神社と、養母トヨヒメの代名詞ともなる香春神社(かわらじんじゃ)について調べました。

香春神社の元主祭神トヨヒメも、いずれまた登場することと思いますが、まずは宗像三女神が降臨されていった順番にたどり、その事績について調べたいと思います。

宇佐神宮で幼児期を過ごした宗像三女神が次に降り立ったのは、六嶽神社(むつがたけじんじゃ)ではないかと思われます。
三女神の修業時代です。

 

なんと! 紀元前700年に、三女神降臨⁉︎

六嶽神社の由緒板には「紀元前七百年ノコロ皇女三神霊山六嶽崎門峰二御降臨アリ此地ヲ上宮ト定メ室木ノ里二下宮ヲ建立シ安産交通安全ノ守護神トシテ鎮守ノ社トス」とあります。

また『西海道風土記』に、「宗像大神が天より降って、崎門山(さきとやま、六嶽のこと)に至り「青蕤(ずい)玉」を奥宮の表に、「八尺瓊(やさかに)の紫玉」を中宮の表に、「八咫(やた)の鏡」を辺宮の表において、三表が御神体の形となって三宮に納めて、人の目に触れないようにした。これによって身形(みのかた)郡といい、後の人が宗像(むなかた)と言い改めた。」と、ムナカタの語源まで記してあります。

そうした御神体は、一定の修行を積まれた印としていただくものでしょう。
つまり、宇佐神宮奥宮で一定の皇女教育をうけたのちに、何らかの使命を帯びて六嶽に降り立ったとみるのが自然かと思われます。

 

十拳(とつか)の剣のミッションとは

十拳の剣の現身(うつしみ)である三女神ですから、それなりのご神意や意図があって誕生してきたのでしょう。
それにしても、十拳の剣ってどんな役割があるのでしょうか。
十拳というのは、一握りの十個分、ということで長い剣のことを総称するのですね。

剣の元となったモノは、古伝には「矛(ほこ)」という名称で初出しています。
矛が象徴するものは、破邪です。言葉から推察すると「ほ(火)」「こ(固まる)」で、火による祓いを意味するものと考えられます。
メラメラと正義の怒りを表す姿がイメージできます。

邪を退ける役割として、イサナキがイサナミと別れて黄泉の国から逃げる時に用いた剣があります。
その時は矛(ほこ)とは言わず、剣(つるぎ)という言葉が使われています。
「つ(集まる)」「る(まわる)」「ぎ(業)」で、フォースを集めそれを運用する業を意味しています。

こうしてみると超古代の「ほこ」は「つるぎ」に進化して日本の神々が運用するようになったと言えます。
記紀に、最初に登場する十拳の剣は、矛から進化した智恵の原型といえます。
その後のすべての剣—天叢雲剣(草薙剣)も含めたものを派生させた日本の、元祖の剣が十拳の剣です。

では、十拳の剣はどんな魔法を起こしたのでしょう。
「イサナキがイサナミの放った追っ手を振り払って生還し、国々を治める神を生んだ」
「スサノオがヤマタノオロチを斬ってイナダヒメと結婚した」
「スサノオがヤマタノオロチを斬って出てきた叢雲剣をアマテラスに献上した」
こういう記述を見ると、剣のこんなご神威が見えてきます。

十拳の剣を振って破邪したうえで、国の宝物を得る

三女神のミッションはまず、邪を祓うという事なのです。
タダ祓うだけではなく鎮魂(ちんこん)し、その後宝物に変えていく、というお働きがあるのです。

 

宗像三女神に課せられたミッションとは

こうしてみると、三女神がうまく育って、国のあちらこちらに散らばって、日本全体に斎境(いわさか、しめ縄の役割)を張ることができれば、国の安全と民の繁栄を願ってやまないアマテラスは喜んだはずです。

結果としてみるならば、宗像三女神を祀る神社は全国津々浦々にありそのミッションは成就しているようです。
十拳の剣の意味を知っている当時の宗像の人々は、三女神を手厚く育てたに違いありません。

しかし。三女神が育つころ世の中は不穏な空気(叢雲)で溢れていました。
三女神を守り隠すために身の形(みのかた)にして、玉や鏡をおいて奥深くに隠されていた、それが六嶽神社(むつがたけじんじゃ)の由緒であります。

さて、六嶽神社で手厚く守られて三女神が成長し、いよいよ世に出る時がやってきました。

次は三女神の後ろ盾、宗像大社へと参ります。

世界文化遺産に登録されて脚光浴びています。

 

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