破邪の十拳の剣(とつかのつるぎ)を抜くべき時きたり
前回まで、宗像三女神が十拳の剣の顕現であること、宇佐神宮奥宮で育てられたこと、そして“宗像三女神”として世に立つ前の修業時代に過ごした六嶽神社(むつがたけじんじゃ)のことや、三女神に期待された使命がうっすらと見えてきました。
三女神が斎主(いつきぬし)として免許皆伝したころ、世の中には不穏な空気がたちのぼり始めていました。
破邪の十拳の剣を抜くべき時が来ているのでした。
宗像三女神、沖ノ島、厳島、江の島に行き、列島を守る
不穏な世の原因は、スサノオにありました。
荒ぶるスサノオが犯した罪は、あはなち、みぞうめ、ひはなち、しきまき、くしさし、いきはぎ、さかはぎ、けがし、という天津罪(あまつつみ)と言われる罪です。
天津罪にシンクロするようにシラヒト・コクミらによって起きた、おのがははをおかし、おのがこをおかし、ははとことおかし、ことははとおかし、けものおかせる罪、はうむしのわざわい、たかつかみのわざわい、たかつとりのわざわい、けものをたおし、まじものせる罪を国津罪(くにつつみ)といっています。
天津罪と国津罪をすべて祓い吹き送るのが大祓い祝詞であります。
大祓祝詞に盛り込まれた“事件”というものは、実際に神々を苦しめたものなのでしょう。
なぜならば、その内容がとても具体的だからです。
スサノオがタカマから追放されていた時代は、いろいろな場所から蜂起がおこり、地上が騒がしく乱れていたのです。
スサノオの本来のお働きは国防であるはずなのに、当の本人が反乱軍を呼びこんでいるような状況で、本来のミッションがキチンと機能していなかったのです。
最終的には、本来の自分を取り戻し八重垣の臣としてタカマに復帰するのですが、そのためには大きな試練をのり超える必要がありました。
三女神はアマテラスから「自ら祀られ、また天孫をたすけよ」と言い含められて九州に降りたのです。
それはつまり、日本を助けよ、といったのに等しいことなのです。
使命を悟った三女神は、みずから沖ノ島、厳島、江の島に散っていきました。
宗像大社で海神パワーを呼び起こせ!
三女神の後ろ盾となったのが、筑紫一帯を治めていた氏族でした。
その氏族は神社においては「八大龍王」と呼ばれる系統の仲間であり、後世神武天皇の祖母ともなる「高龗神(たかおかみのかみ)」ともつながる氏族で、海神(わたつみ)なのです。
三女神は、宗像で立派な斎主に成長したのですが、それにしてもなぜ九州の地が選ばれたのでしょうか。
それは、海神のご加護を得られるように、また日本を守るために海神の力を必要とした、という解釈もできます。
宗像は、朝鮮半島とも近く外交の要であったと同時に、「海神」パワーをもっと強化するために最適な場所だったのです。
それにしても「海神」ってなんだか、ノストラダムスの予言に出てきた「リバイアサン」を想像してしまいますね。
長女タギリヒメ、沖ノ島へ入る
長女であるタギリヒメは自ら沖ノ島へ入りました。
今や、沖ノ島は女人禁制となっていて、その理由が「女神さまが嫉妬するから」と言っていますが、それは、ちょっとどうでしょう。
海神パワーを発する大元となり、外国との境界にたつ沖ノ島に鎮座して、神々を斎祀り神風を吹かせたり、嵐を止めたりして日本をずっと見守り助けています。
タギリヒメは古事記にも書かれているように、後にオオナムチの妻になります。
なので、オオナムチが赴いた東北の地にも、多く祀られています。
宗像大社は日本と外国の境目を守る「海神パワー」の元
というわけで、宗像三女神がその使命を発現するために九州で修業時代を送った目的が、海神パワーを身に着けて日本を守るためだという事がわかってきました。
水際を守るのが三女神なのです。
そうして三女神はそれぞれ、自分で決めた赴任地へと散らばっていきます。
次は末のタナコヒメ(イチキシマヒメ)の赴任地、厳島神社へと巡っていきます。
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