「世界」を創る側の人になる【すくなちあきpresents「一日千秋」】

● 集合(無)意識

ムード。雰囲気。空気。
複数の人が同じ意見や想いを共有すると
それは一つのエネルギー体となります。

水蒸気の粒でできている「雲」は
それに似ていますね。

そして実はその「集合意識」こそが
歴史を創りあげるものの正体なのです。

集合意識には「〜べき」というものが
存在します。

大抵の人はそこに囚われ、
同調し、
いつしか流されていきます。
それが集合意識の一部になった状態です。
洗脳といってもいいでしょう。

その只中に居て、
その流れに逆らわず流されていると、
その「〜べき」こそが
【正しい】と思ってしまいます。
そして、そこから離脱することは
【悪】だと感じるようになります。

誰しも、悪人にはなりたくないものです。
ですが、その【悪】は
本当に【悪】なのでしょうか?

立ち止まって、考えてみます。
健全に、うたがってみます。

戦国時代は殺人が正義でした。
それに逆らうことは悪とされ、
その時代は恐怖で支配されていました。
それがその時代の集合意識でした。

「でも今は? 少なくとも日本は平和だし」
「恐怖では支配されていないよね?」

そう思いますよね?

確かに今は、
平和で安全に保護されている社会です。
ありがたいことです。

 

●しかしその代わりに【管理】されているのです

管理という保護の牢獄は、
住み心地がよく、
平凡でも幸せな生活が良い
という甘美で常習性のある果実で
私たちをトリコにします。

「だから、冒険しなくて良い」
「今以上を求める必要はない」
「だって今幸せだし」
「足るを知るってこのことでしょ?」

甘美な果実はそんな味わいです。
甘ったるいフレーズで私たちを縛り、
甘い笑顔を見せながら
私たちの可能性の扉を
後ろ手で閉ざします。

 

● 私たちは何のために生まれてきたのか?

そもそも私たちは何なのか?
私たちは、
「神」の現れといわれています。

この「神」とは神性。
神のような性質を
指しているのではないでしょうか?

では神のような性質とは一体
どんなものでしょう?

自分(個)のことだけではなく
全体(公)のことのために
生きようとする性質。

全体(社会や国)を
創り上げていこうとする性質。

このような性質が神性ではないかと
私は考えています。

 

● 「平凡で幸せな生活が良い」は一見、善人のセリフのようです。

でもこの言葉の主語は、
「私は」でしょう。

つまり、
「自分の幸せ」で完結しています。

まず自分を幸せにすることは
優先順位一位です。

でもその次には、
全体の幸せを視野に捉えます。

そこは「自分」という階(フロア)より
一段上ったところにある階です。

自分は全体に(あるいは周囲の人たちに)
どんな貢献ができるのだろう?
何を与えることが出来るだろう?

次の世代に何を遺してあげられるだろう?

先人が遺してくれたこの平和な時代に
生かされている私たち一人一人は
そんなことを考えたい。

自分のことだけでなく、
未来に恩を送りたい。

そんな人を目指したいですね。

【「集合意識」に流されない人になる】も合わせてどうぞ。
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