「集合意識」に流されない人になる【すくなちあきpresents「一日千秋」】

流行にノルのも楽しいものです。 今は平和な時代だから。

●集合(無)意識。

「場」のムードや雰囲気。
社会全体で観ると、流行や風潮のこと。

ある一定数の人が同一の意識(気持ち)
を持つと、
それは大きな
「意識の塊(かたまり)」となり、

まだその意識を持っていない人をも
巻き込んでいきます。

ちょうど台風のように。

「自分はこの件について
どういう考えを持っているのか」

ということを常に意識していないと、
私たちはその大きなうねりのような
意識のかたまりに容易に流されたり、
呑みこまれたりします。

「大きな意識のかたまり」と
自分の気持ちは同じだ
という錯覚におちいり、
そして、それが正しいと自分の本心に
「上書き」していきます。

それは、つまり「無」意識のうちに
自分が「集合意識」の一部に
なってしまうことを

許してしまうという受動的行為です。

そのようにして、集合意識は
周りの人を次々と巻き込んでいきながら、
どんどん勢力や影響力を
拡大していきます。

「個」としては、
「いじめ」を好きな人、
誰かがいじめられているのを
見ていて楽しいと
感じる人はいないかもしれません。

けれども、
いじめを「止められない」雰囲気が
その「場」に出来ていたとしたら?

そこでたった一人で立ち上がり、
「やめなよ」と声を上げるのは
難しいかもしれません。

同じように歴史を振り返ってみると
「戦争」のムードが
出来上がってしまった時も
そうだったようです。

本来であれば、
人と殺し合うのが楽しくて仕方ない、
と思う人は殆どいないと思います。

けれども、歴史をみると
戦時中、殺した人数が多い人は
勲章や褒賞をいただけます。

平和な時であれば、
人命救助をした人が
いただけるものなのに。

これも、戦時中の集合意識が
「それが正義」
という旗印になっているからです。
「それ」とは、殺人ですね。

その時代は、
その集合意識に身を委ねなければ
生きるのが難しかったのかもしれません。

「殺人が正義」なぜなら、
「それが家族や国を守る唯一の手段だから」
と誰もが、自分を騙すしか方法がなかったのかもしれません。

裸の王様をみて、「王様の衣装は素晴らしい」、
そう言うことしかできなかった
童話の「民衆」のように。

本心ではそう思っていなくても、
大きなうねりに流されること以外
選択できない、
そんな時代もありました。

 

● 「民衆」にはならない。流されない「私」で在る。


現代でも、集合意識はそこら中にあり、
それは私たちの生活に
散りばめられた形になって
無言でアプローチしてきています。

たとえば、
今季流行のファッション。
期間限定発売のスイーツ。
ブーム。

多くの人に人気のもの。
支持されているもの。
それを知らないと
「一人だけ乗り遅れている」
という感じさえします。

集合意識は
「大きな流れ」のようでもあります。
黙っていたら、押し流されてしまう
そんなエネルギーです。

流行にノルのも楽しいものです。
今は平和な時代だから。
みんなと共通の話題を持つことによって、
話の花が咲くこともあります。

でも、それは本当に

「私にとって必要なものなのかな?」
「私の心はコレを
本当に欲しいと思っているのかな?」

と立ち止まって、
考えてみるのもいいかもしれません。

「もし流行っていなくても、
誰も見向きもしないとしても、
私はコレを求めているのかな?」

と自分と対話してみる時間は、

本当に自分を
「喜ばせるものだけを自分に与えたい」
なぜなら
「私は自分を大切に想っているから」
「誰かがそうしているからではなく、
私がそうしたいから」

そんなことを確認できる
自分愛護の時間になります。

そのような小さな「選択」を
日々積み重ねていけば

一体自分が、何を求めている人なのか。
自分とはどんな人なのか。

そんなことが
発見できるかもしれません。

そして何より、この先
もっと大きな「選択」を
しなければならない、
そんな時にも、私たちは

自分自身で考え、
そして
選び取ることができるでしょう。

私たちが、
どんな社会で、
どんな国で、
どんな未来で

生きていきたいのか、
ということを。

#国民投票
#憲法改正

 

小名千秋official blog「ことりのさえずり」
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