末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.48~味方はいらない~

自分を、愚かな存在だと思うから、弱くて価値の低い存在だと見るから、「味方」なしには生きていられないと思えてしまう。 けれどもそれは誤解です。

 

≪「敵」などいない ≫

なぜ滑稽だと言えるかというと、真の意味で「敵」などどこにもいないからです。
自分には「敵」が存在する、あるいは出現するとでも思っていない限り、誰かに「味方してもらおう」などと考えるはずがありません。怖れに満ちているのでなければ、「味方」をつくる必要などないのです。
いったい何と対峙する必要があるでしょうか。

わたしたちには「敵」はいないし、永久に現れることはないのだから、「味方」はいらないのです。
たとえ誰とどのようなことがあったとしても、誰かを敵視しなければならないなどということはなく、トラブルがあったなら、和解や調和を、愛を選べばよいことです。

神様からも、「味方」してもらう必要はありません。
「神様に味方してもらいたい」と思う人もいるようですが、この考えには、神様が「敵」になる日が来るかもしれないという怖れの思いが隠れています。

神様は裁きを下す者であり、いつ嫌われるともしれない。そうなっては困るので、良く思われていたい。神様の気に入ることをしておきたい。
神社に足繫く通い、多くのお金を納めれば、「こんな自分」でも大事に扱ってもらえるかもしれない。
毎日神様のために祈れば、「こんな自分」でも許されるかもしれない。わたしに味方してくれるかもしれない。

そうやって、「神様が味方してくれる条件」を探してあれこれまじないを行っても、何の意味もありません。どうしてそんなふうに、こびへつらう必要があるでしょうか。

 

≪ 条件付きより無条件 ≫

わたしたちは、神様とも、人とも「条件付きの関係性」を築くことを、誰からも――神様からも――いっさい求められてはいません。
そんなことをしなくても、もうすでに愛されているのです。もうすでに護られています。自分の都合で物事を見るから、その真実に気づけていないだけです。

自分を、愚かな存在だと思うから、弱くて価値の低い存在だと見るから、「味方」なしには生きていられないと思えてしまう。
けれどもそれは誤解です。

過去に何があったにせよ、どんな行いをしてきて、何をしてこなかったかにかかわらず、わたしたちの真の価値が変わることはありません。本当の神様、真の愛そのものから、わたしたちが切り離されることはないのです。どんなジャッジも受けることはありません。

まじないをすることで神様に気に入られようとするよりも、こびへつらって誰かに味方してもらおうとするよりも、「わたしはすでに愛され護られている」という真実を、心から深く感じ経験したいと願うほうが、ずっと賢明な選択だと言えるのではないでしょうか。

条件付きの「味方」になってもらおうと不要な努力をする生き方よりも、無条件の愛を差し出し受け取らせていただく「わかち合い」の生き方を選びたいものです。

 

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