末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.34 〜「正解」と「すでにある答え」(その1)〜

なぜ「正解」を求めてしまうのでしょうか。 傷つきたくない、失敗したくない、恥をかきたくないといった「怖れ」の思いがあるからではないでしょうか。

≪ 人生は選択の連続 ≫

前回の記事で、「やりたいことをやっていこう」と言われても、「やりたいことがわからない」、「やりたいことが多くて選べない」という思いを持つ人が多いことから、それぞれについて述べてみました。
これらの思いの奥には「正解」を求める気持ちがあるのではないかという点に触れましたが、今回はさらにこの「正解」に関して深めてみたいと思います。

わたしたちの人生は言わずもがな「選択」の連続です。すべてを同時に選び取るということはできないので、人生の岐路に立ったときに限らず、些細なことであっても、複数あるうちからどれかを選ばなくてはなりません。

レストランで何を注文するか、今日はどの服を着ていくか。そういった場面でも「選択」を求められます。
こういうときも、人生の岐路(受験、就職、結婚など)においても、「直感」を大切にすることがよいと思うのですが、「直感で選びましょう」と言われると、「直感がどれかわからない」と答える人が多いように感じます。

トリニティ第34回コラム用写真②

 

≪「直感」と「正解」≫

「直感がどれかわからない」、「思ったことが直感かどうかわからない」と言うとき、それは「直感」について述べているわけではないのだろうと思います。
なぜなら「直感」は、どれかわからなくなるほど複数用意されるものではありませんし、「思ったこと」はその人の「思考」であって「直感」ではないからです。

「直感」というのは、ある意味「たったひとつ」であり、思考することをいっさい必要としないものです。考える必要がないので、時間を必要としません。それは一瞬でやってきて、その一瞬でわかるはずのものなのです。

「わからない」と思ってしまうのは、それは「直感」を求めている、「直感」に従おうとしているのではなく、「正解」を求めているからではないでしょうか。
「直感」と「正解」は同じものではないのに、それを「人生で失敗しないための正解」、それを選べば人生でいっさい痛みを伴うことがないのだと思ってでもいないかぎり、あまりにもシンプルで迅速に、そして誰にでも必ずやって来る「直感」を受け取れないはずがありません。

トリニティ第34回コラム用写真③

 

≪「正解」と「ミス」≫

なぜ「正解」を求めてしまうのでしょうか。
傷つきたくない、失敗したくない、恥をかきたくないといった「怖れ」の思いがあるからではないでしょうか。
けれどもはっきり言って、「正解」などないのです。エゴ(自我)が満足するような「解」は一種のファンタジーであって実際には存在していません。