≪「やりたいことをやっていこう」と言われても ≫
「天職」と出逢うには「失敗する力」を発揮することが重要だということについて前回述べましたが、今回は「やりたいこと」に関して深めてみようと思います。
生き方、働き方にはさまざまな選択肢があるので、多くの人が迷いやすく悩みやすいテーマかもしれませんが、好きなことをして生きていくことは可能なことです。
そのために「やりたいことをやっていこう」、「好きなことをとことんやってみよう」といったことはよく言われることで、確かにその通りなのですが、このような言葉に対して次のような思いを抱く人が多いようです。
それは主に3つあって、
1)「やりたいことがわからない」
2)「やりたいことが多くて選べない」
3)「やりたいことをやっていたはずが、やるべきことに変わってしまってつらい」
というものです。
これらを一つずつみていきたいと思います。
≪ やりたいことがわからない ≫
「やりたいことがわからない」というのは、おそらく「正解」を探しているからでしょう。けれども、やってみる前から「これをやれば成功する」などということはわからないものです。そもそも「やりたいこと」に「正解」などありません。
興味を持っていることがあっても、やる前から、自分にとってどれだけのメリットがあるかを計算しようとするから、身動きがとれなくなるケースが多いように思われますが、何度計算をしたところで明確な答えは出ないことでしょう。
子どものように単純に、興味を持ったことをそのままやればいいだけのことなのです。
砂遊びしたいなと思った次の瞬間には砂場でしゃがんで何かしらしている。そのくらい単純でいいと思います。手が汚れるとか、みんなみたいに上手に砂のお城を作れなかったらかっこ悪いといったことを考えるのはばかばかしい。汚れたら洗えばいいし、上手に作りたいなら上手に作れるまでやればいいだけのこと。そこに「失敗」は微塵もありません。
大人になっても、そのスタンスは同じままでいいのではないでしょうか。
やってどうなるかということは、やってからわかることです。
何年待ったって「お告げ」など来るわけがないのに、何年も同じこと(「やりたいことがわからない」)を言って何もしないなど、もったいないことです。
「お告げ」というのは、やることをやっている人、正直に生きている人のところに来るのであって、「正解」や「保証」がなければ動かないといったスタンスの人のところには来ないことでしょう。
≪ やりたいことが多くて選べない ≫
「やりたいことが多くて選べない」というのも、「正解」がどれかを気にしている、つまり失敗を怖れているのでしょうし、自分が変わっていくこと、喜びを感じて生きていくことに抵抗している状態だと言えます。
選べないも何も、片っ端から全部やってみればいいのです。やれるだけやればいい。どれかひとつに絞ろうとするのは、どれが一番メリットがあるかを気にしているからではないでしょうか。
どれを選んでもさして変わりないことでしょう。選んだ後どうするか、どれだけ活かせるかしかないのですから。
どんなに良い選択をしたとしても、チャンスを棒に振ってしまうことだって大いにあり得ます。選ぶことに対して慎重になりすぎるよりも、選んだものを大切にしていくほうがずっと賢明だと言えます。
≪ やるべきことに変わってしまう ≫
「やりたいことをやっていたはずが、やるべきことに変わってしまってつらい」というのは、おとぎ話の世界でお菓子の家を作るのとはわけが違うのに、「好きなことをして生きていく」というのは、魔法の力でできることだと思っている場合に出てくる言葉かもしれません。
好きなことをして生きていくにしても、「やるべきこと」はあるに決まっています。
たとえばプロのセラピストになって活動「したい」なら、技術を習得「しなければならない」し、集客について工夫「しなければならない」のは当然のことです。
夢を見ながらお月様に祈っていたら、なぜかすいすいセラピーが上手にできて、なぜかどんどんお客様が来るんです、なんてことはあるわけがありません。「やるべきこと」は山ほどあるのです。「やるべきこと」から逃げたまま、妄想でお菓子の家を作れても、地上でプロへの道は創れない。考えるまでもないことです。