末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」PART.30 ~自分探しと「本意」への旅~

感傷的になりやすいこの季節……。「自分って何だろう」「自分は何のために生きているんだろう」といったようなことを思う人も少なからずいるでしょう。今回は、「自分探し」と「本意」について深めていきます。

「自分探し」という罠

「利他的自己実現」に関する矛盾について、<PART.28~矛盾に気づく~><PART.29~本意それとも作為~>で取り上げ、自分が本当に願っていることと周囲に話していることが一致しているかどうか、望んでいることとやっていることに矛盾がないかどうか、自分に正直になってつぶさに観察してみることの大切さについて述べてきました。

また、「~になりたい」という「形」を求める願いは“真のゴール”ではなく、何のためにそうなりたいのか、その目的や意図が重要だと述べ、自分の思いがほんものかどうかをじっくり見つめてみることを勧めました。

今回はこの続きで、「自分探し」と「本意」について深めていきます。

「自分探し」という言葉をいつから耳にするようになったのか憶えていませんが、随分昔から使われていたように思います。
当初はその響きが少しかっこいいように感じられ、自分自身もそれをテーマに考えを深めてみたいと思ったものですが、いまとなっては、一つの罠だと言ってもいいような気がしています。

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程度の差こそあれ、誰でも「自分」を探したい欲求を持っています。

感傷的になりやすい学生の時分に、「自分って何だろう」とか、「わたしは何のために生きているんだろう」といったようなことを思った人も少なからずいるでしょう。
自己同一性の問題は誰もが取り組むものであると同時に、真に安らぎを得られる答えを見つけることは困難だと言っていいと思います。アイデンティティについては、身体についての認識が大いに関わっていますが、今回はそういった根本的な意味の掘り下げではなく、そこから派生した、多くの人が陥りやすい点について取り上げていきます。

自分はどのような人間で、自分と他者との違いは何なのか、どのような肩書で何をやっていくことが自分にふさわしく、何をウリにして生きていけばよいのか。どのような生き方を選べば何の心配もなく暮らしていけるのか。そういった問いを抱き、何年費やして答えを探したとしても、本当に心から納得のいく答えは決して見つからないだろうと思います。

これらの問いを言い換えるなら、「わたしのライフパーパスは何ですか」、「わたしの使命が知りたいです」といったものになるでしょう。

 

「形」としての答えを、待っているのです。

言わば、結局のところ、経済的に困らないもので、自分が心から楽しいと思える仕事が何か、絶対成功すると保証された職が何かを教えてほしいと思っている、ということなのです。そしてそのような問いを投げかけているうちは、答えは見つからないようになっています。

「自分探し」をしたくなるのは、「これは自分じゃない」という思いに端を発しているに違いなく、「こんなはずじゃない」、「もっといい人生があるはずだ」といった、現状から脱したいという欲求があるからにほかなりません。

「これは自分じゃない」、「こんなはずじゃない」。
では、あなたはどのような存在で、どのような人生を送っているはずなのでしょうか。

あなたはどんな人ですかと聞かれて答える内容はみな「過去」に基づいているのであって、個人の歴史(記憶)を取り除いてみれば、自分がどんな人なのかなど、答えようがなくなります。何かを「した/していない」という判断材料がなくなるし、誰と出会い、どのような経験をしたのかについての記憶がないなら、人との違いを見つけられないのだから、自分について語りようがありません。

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「自分を探す」ということは、むろん「比較」を伴います。

つまり、他者あるいは過去の自分との差異を見て、「これが自分」と納得できるその定義を探そうとしている、ということです。
比較によって出てきた情報(容姿、能力、人間関係、健康状態、収入などのデータ)によって、そこに優越感を覚えるならば悩むことはなく、劣等感や自己否定感を抱いたならば、「これは自分じゃない」と言って、「本当の自分」を探し出さずにはいられなくなる、ということなのだろうと思います。

誰でも優越感を保ち続けることはできないので、どのみち「これは自分じゃない」という思いを、遅かれ早かれ誰もがきっと持つことになるのでしょう。
それならば、今際の時になって気づくより、人生の途中で、「これは自分じゃない」というその“真実”に近づくことができているだけ前進しているのだと、劣等感にさいなまれるのではなく、胸をなで下ろしていたほうがよほどいいと言えます。そういう意味で、「自分探し」とは、素晴らしい機会となり得るでしょう。