末吉愛の「あなた本来の輝きを呼び覚ます ワクワク☆ミラクル自己実現メソッド」 PART.29 ~本意それとも作為~

相反する思いがあるとわかったとき、どちらが本心で、どちらが屁理屈(怖れを隠し持った作為的な思い)なのかを明確にしてみるとよいでしょう。「ほんもの」でない思いには、必ず怖れが潜んでいます。また、両方が「ほんもの」でないこともあるので、気をつけたいところです。

前回、「利他的自己実現」を果たす上では、矛盾点を明らかにしていくことが大切であると述べました。ここで言う矛盾とは、「思考と言語表現の不一致」、「思考と行動の不一致」のことですが、今回はこれらの矛盾を抱えることなく進んでいくためのカギについて述べてみたいと思います。

そのカギとは二つあって、「自分に正直であり続けること」と、「真のコミットをすること」ですが、今回は前者について深めていきます。

 

ほんものと前提

「自分に正直であり続けること」については、前回の記事の「思考と言語表現の不一致」の箇所で少し述べました。「思考と言語表現の不一致」というのは、「自分が本当に願っていること」と「周囲に話していること」のずれを指しているのですが、この「自分が本当に願っていること」が見えていないケースが多くあるようですので、例を挙げて見ていきます。

「思いと思いの不一致」、つまり葛藤があると、なかなか前進する気持ちにはなれません。
たとえば、「セラピストになりたい」という思いと、「癒しの仕事でお金を取るのはなんか違う気がしていやだ」という思いがあった場合、他者に話すときも日によって言うことが異なっていたり、両方の思いを開示して、「どうすればいいと思う?」と周囲に助言を求めたりしがちです。

けれども、相反する思いを両方同時に本当に心に抱くということは不可能だと言えます。
片方は「ほんもの」、またはそれに近い思いで、もう片方はそれを打ち消すための材料、いわば屁理屈です。あるいは、両方ともに本心でないケースもあるでしょう。

もし、「セラピストになりたい」という思いが「ほんもの」なら、必ずそれに向かう行動に出るし、不安要素があってもそれに対処すればよいだけなので、何があってもそれは真に障害とはなり得ません。
こういう場合は、「わたしはセラピストになれる」(「わたしは自分が生きたいと思う人生を生きることができる」)という前提であらゆることに向き合っています。こういった人には、実現においてとても重要な、「根拠のない確信」があり、実際にスムーズに叶うし、想像以上のギフトを何度も受け取れます。

いっぽう、「セラピストになりたい」という思いが中途半端で、それが「ほんもの」にならない理由に、前提となる考えが、「わたしは自分がやりたいと思うことを実現するための才能を充分に持ち合わせていない」というものだったとしたら、その前提――自己否定観や無価値観――を見なくてすむように持ち出された、よくある「ブロック」と言われるもの、たとえばここで言うところのお金のブロック、「癒しの仕事でお金を取るのはなんか違う気がする」という、さも正当性があるように聞こえる言葉を使って、自分の純粋な望みに抵抗する、というケースもあるでしょう。

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「癒しの仕事でお金を取るのはなんか違う気がする」だなんて、屁理屈なのです。そもそも、「お金を取る」という発想が、金銭に対する「前提」において、何か偏った考えがあるに違いありません。お金のやり取りは、「取る」・「取られる」(加害者・被害者)の関係でしか成立しないなどということはないのですから。

話を戻しますが、矛盾する思いを抱えているときも、つぶさに自分の心を観察し、「ウソ」に気づかなければならないと言えるでしょう。自分の考えに一貫性があるかどうか、思っていることと言っていることにずれがないかどうか。矛盾を抱えずに進むには、自分としっかり向き合わなければなりません。