ソウルメイトと現代宇宙観との意外な接点 Part1. 「多様化するパートナーシップ観」

世界で初めて『ソウルメイト学』を開発、発信している「Abundantia Wisdom School(AWS)」の学長、紫山韶亮さんが綴るコラム「ソウルメイトと現代宇宙観との意外な接点」。その第一回目となる今回のテーマは「多様化するパートナーシップ観」です。

●この世界はコンピュータシミュレーションの一種である

最近、「ツインソウル」や「ソウルメイト」といったワードをそこかしこで見かけるようになりました。
おおむね、パートナーシップに関する期待を込めた意味で捉えられているようです。

「目に見えない縁」があるとしたら、その「縁」を信じたい。
という気持ちはもちろん昔からありましたが、ここ最近で急上昇ワードとして出現したのには理由がありそうですね。

ところで、その「縁」とは何なのでしょうか?

現代宇宙観では、私たちの肉体は仮の器で、今認識している範囲の世界はコンピュータシミュレーションの一種であるという説があります。
もしそれらの仮説の通り、この地球上の生物進化はある種のシミュレーションだとしたら、それはいったい何のために……?

『ソウルメイト学』を世界で初めて開発、発信している‟AWS“では次のように結論づけています。
それは、「愛を取り戻すため」のシミュレーターなのだと。

 

●快にも不快にも幸福はない。完全な世界には中庸しかなく、偏りがない

AWSでは、世界中のあらゆる宗教哲学をデータベース化しています。
コーラン、聖書、仏典まで、さまざまな聖典を蓄積していくと、この世界はシミュレーションなのだと仮定すると説明がつきやすいことに気づかされます。

たとえば聖書。

人間は本来罪びとであり不完全であるからこそ、神様の愛を信じなさいという一貫した教理があります。
もし生物進化シミュレーションで、より高度に発達した文明が存在し、干渉していると仮定すると、これは非常に納得のいくセンテンスです。

つまり、完全に決まりきった世界では、不完全性がないため実験する余地や選択の余地がない。
これを検証しようと思うと、不完全な存在が必要不可欠だという理屈になるはずだからです。

仏教では快にも不快にも幸福はないといいます。
完全な世界には中庸しかなく、偏りがない可能性が非常に高いことになります。裏を返せば、仏陀をあちら側の世界の博士のような存在だと思えば、その生涯が「幸福は中庸にあると探すシミュレーターとしての人生」になるのもとても納得がいきます。

般若心経の空即是色も、「結局すべては無に帰るのだからどうせ悩んでも意味がない」という意味ですから、この宇宙がシミュレーターだとしたら合点がいくと思いませんか。

 

●同じ哺乳類の中でも、人が複雑なパートナー選びをする理由

話を戻すと、これとソウルメイトと何の関係があるかといえば、

1. 男女とはそもそも何か
2.  なぜ、「つがい」になるのか
3.  魂とは何か

という3つの大きな疑問にいきつきます。

1と2は、ほぼ同じ回答になります。

他の生物では単性だったり、性転換が容易だったり、雌雄が分かれていても大産卵などするため、増殖が容易です。
生物学的な観点で言えば哺乳類は比較的おとなしい生物と言えます。
なぜでしょうか?

スピリチュアルな観点からすると、先ほどのシミュレーションにあてはめれば、「愛とは何か」を学ぶためなのではないか、と考えると腑に落ちます。

なぜなら同じ哺乳類でも犬やコアラ、猫やカンガルーに比べると、人は非常に複雑なパートナー選びをします。
それは「愛を学ぶため」としか言いようがないのではないでしょうか。

 

●人類はやがて生物的機能をどこかで捨てることになる!?

婚姻制度というのは当初、社会保障や、政略結婚を起源としています。
私は、人間の生態や実態に、この婚姻制度は合っていないことに気づきました。

日本でも最近ようやく夫婦別姓、ニュージーランドの同性婚など、多様化するパートナーシップの対応に迫られています。
過去の結婚観はその家の墓に入るという意味合いが強いものでした。

そしてAWSの授業では、「結局のところ生物的機能はどこかで捨てることになり、そして、私たちシミュレーション宇宙を生み出した文明社会ではすでに脳だけが残っているのではないか」という仮説を提唱しています。
そうだという根拠はなく、単なる超越論にはなりますが、その方が実際様々な面でロジックが成立しやすいのです。

ではソウルメイトとは結局なんなのでしょうか?
それはまた、次回のお楽しみです。

AWS 学長 紫山韶亮