伽座守珊瑚の開運『狼語り狐語り』第29話~狐眷族『甚六』が語る“人間界に望む”神仏への願い~

集まった眷属たちから絶賛された狐眷属『甚六』の独演会。実は『長老狐』が甚六にすり替わっていたという顛末……。今回は可愛い見習い眷属、猫霊の『ちゃ』に、正真正銘『甚六』が眷属として人間界に望む、神仏に対する願いをお話しします。

わたしは見習い眷属、猫霊の『ちゃ』です。

今夜は小野照崎神社さまで、敷地に住む生きた猫さんたちと過ごしています。
ここの猫さんたちは、生きているのに眷属見習いをしておられるのです。目を閉じてじっとしているように見えるときは、魂の一部が体から出て、『お使い』をして働いておいでです。エライのに威張ったりせず、みんな優しい猫さんです。

この辺はお祭りや観光の行事が多くて、甚六さんやグラウさんが神様の用事で忙しい時はここで過ごすように頼んでくれました。

今夜は どーん どーん 湿った空気に鈍い音が響いてきます。
それは花火の音だと知らされました。

大きな音が響くとき、いつも不思議な光景を目にします。この街で頻繁に聞く音……
読経の前の太鼓、盆踊りの太鼓、マーチングバンドの楽器、そして雷の音でも「それ」は起きました。

「それ」は、建物の壁や地面、生きた人の中から黒い人型の影がゆっくりと浮かび出て、みるみる白っぽくなり、最後に一瞬、生前の姿と思しき色彩のある笑顔に変わり、まばゆい光に包まれ空へ昇ってゆく光景……。

それを甚六さんに聞いたら、霊や念の浄化とか成仏の有様だと教えてくれました。

「まぁその時を迎えていたものに音がきっかけを与えただけなんだろうけどね。」
という答えもいただきました。
「人の霊は音で浄化される事もある。」
とも言いました。
そして
「これに似た光景は、日常に人の魂が喜ぶときによく起きる。」
とも教わりました。

これは、ある日祠で甚六さんが話してくれたものです。

 

【 狐眷族『甚六』による講釈の始まり始まり…… 】

「ほら、あそこ、喉が乾いた人が自販機で飲み物を買って飲もうとしている。飲むと、薄い影が体から浮き出てきて二重写しみたいになって、一緒に飲んでいるように見えるだろう。『冷たい 助かった』
……その喜びを人と一緒に体験できて、その薄い影は光になって消える。何気ない日常のほんの一瞬の出来事さ。

生きている人は誰にでも、たくさんの先祖や縁のあった存在と繋がりがある。
そして道や建物、山・海・街……何処にでも縁のあった人の無念や渇望が染み込んでいる。仏教でいう餓鬼に限らず、わたしたち眷属から見れば、そういうものが餓えた鬼=餓鬼なのさ。

執着して自由を失った霊魂や世間の人の放った念は、血縁や地縁を通して生きた人の心に潜み、しがみつき、しがみつかれた人を執着や飢餓の苦しみに堕とす。憑依だね。

でも、元は飢餓や戦争で命を無くした罪もない哀れな魂や念、普通は頑張って生きている人間の喜びと一緒に「乾きが癒えた。おいしかった。」を経験できて浄化されるんだ。

でも、餓鬼の中には、魔物になってしまうモノもいる。
例えば服かな?着ることもない服を「素敵。欲しい。」と買うけど、手に入るともう次の欲しいものができて包装を解くことなく新たに買い続ける人は、魂が満足しないから家が荷物だらけになるほどモノを買う。

普通ならば、『欲しい服を見つける→やりくりして購入→着て出かけて満足』の一連の流れの中で、生前得られなかった満足を関わった人間の行動で一緒に経験できて成仏してゆくけど、魔物化した執着心は、欲しいモノを手に入れても、それを喜ぶ前にもう次の欲しいものへの執着が出ていつまでも飢餓感が続く。

誰かを許せない気持ちも、何かが満ちてなくて欲しい気持ちも、人間にとって苦しい思いは肉体の空腹感や喉の乾きみたいなもんでね、命に関わること……心はそれを写して拒食や過食、外部との関わりの拒否の行動を起こす。

こういうことが起きたとき、一部の人間は先祖供養をしろとか、憑いてる霊を払えとかいうけど、餓鬼と同じ飢餓感を残したままの人間に何をしても無駄なのさ。また同じ飢餓感を持つ『餓鬼』を『類は友を』で新たに取り憑かせてしまうから。

でも、割と高い確率で、千の説教より万の祈祷より、絶叫や大気を震わせる大音響と感動が『カビにカビキラー』みたいに魂に巣食っている餓鬼や魔物を浄化することがある。花火大会、祭りのお囃子や盆踊り、遊園地のアトラクション……人間は経験的にどよんとした気分をスッキリさせる術を、行事やレジャーで定着させてきたのだろうね。

心に餓鬼をくっつけたままご利益のある神社やお寺に参拝しても、神仏は餓鬼がつかないように導いてくれることから動いてくださるから、肝心の祈願成就までには時間がかかる。「行ったのにいいこと無い」って人はこれなんだ。

霊能者が、恋愛や結婚・金運にご利益のある神社や寺を紹介しているが、ああゆう人たちは、人に対して恨みや怒りと行った霊体の曇りが無いんだろう。曇りの無い心で祈れば願いは叶いやすい。
でもね、社会や家で人との関係に疲れたり悩んだりしている人たちは、どんなに良い人でも怒りや恨みで霊体が曇っているのが普通なんだ。曇りを晴れに変えてから祈らないと、高い交通費や宿泊費をかけて遠くの寺社まで行っても……ね。
祈願してトンボ帰りで観光もせずに帰宅ではなくて、美味しいとか、景色に感激とか……旅の感動で多少は清められるから、パワスポやご利益で有名なところに祈願に行くなら、楽しいことで自分の心身を浄化して、花火やお祭りの楽しい大音響に清められて、ひとときでも怒りや悲しみから解放された状態で神仏にお願いをしてほしい。」

 

祠の仲間の狐さんたちが「また長老さまが話しているのかも。」って、冗談を言ったら、甚六さんは「そうかもねぇぇ。」
長老さまの真似をして優しく笑いました。

 

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