-消えない想いと自責の念-
家族との死別は、どのような形でさえ苦しみが残ります。
ある程度の寿命に近づいての死別であれば、老いという苦しさからの解放と思えば、往生したと、安らかな送り出しもあるでしょう。
しかし、親であれ子であれ、兄姉であれ弟妹であれ、夫であれ妻であれ、若くしての別れは、その後の人生を大きく変えるでしょう。
死別を経験するまでは、頭ではいつか来る出来事だと承知していても、どこかで他人事であり自身に今降りかかるとは思わないものです。生死に於いても軽い基本的な事を知るのみで、実際の経験がどれほどのものかはわからないでしょう。
私も娘に「お前に先に逝かれたら、ママは一生涯地獄の中で生きるのだろうなぁ。」などとは言っていましたし、想像でも凄いことだろうとは容易に考えても、実際の経験はその数倍、数十倍、もっと大きなものでしょう。そしてその反応は想像できなかった事の方が多かったように思います。
こればかりは、どの様に文字で表現しようにも出来ない事だと常に感じます。
それでも、同じように苦しみ、生死のはざまで、ゆらりゆらゆらしながらやっと生きている同体験者に何かを届けたい気持ちは止まりません。
この体験をすると自分でもどうにもならない矛盾が多く引き起こされます。
この悲しみ中で胸が常に押しつぶされそうな、引き裂かれそうな想い。
普通に生活をしている人達を見ながら、あの普通の生活は再び来るのだろうか? という問いかけ。
何故? 何故? の答えの無い問答の繰り返し。
あの時こうだったら……あの時こうしていたら……と、責め続ける自分。
心から笑う事もないし、幸せではない。苦しくて悲しくて怖くてたまらない想い。
それでも、忘れたくない。
そして、この感情を手放したくない。
未経験者にとっては、理解しがたいことでしょう。理解できない方々は、亡くなった人がもう帰ってこないということ、残されたあなたを心配しまた元気になって欲しいと願っていることなどから、あなたにくよくよすることをやめさせようとか、笑えるように外へ連れ出すなどしてくれているかもしれません。
でも、遺族の我々は、その方が辛さを一層深めていくのです。
何故、その苦しみを手放さないのか……。
それは、“愛”だからです。
その想いそのものが、深い、深い愛だからなのです。
私たちがどれだけ旅立った方を愛していたかを自らでも驚くほどに感じるでしょう。
そして受けていた愛の深さにも驚くほど感謝するでしょう。
その愛の証が、この深い喪失感なのです。
そして、おかしなことですが、その感情が支えになって、何とか生きていると言っても過言ではありません。
だから、手放さないのです。
でもその深い悲しみは、確かに身体やメンタルを壊すこともあるでしょう。
仕事を失ったり、当たり前の生活さえ失う事もあるでしょう。
でも、そんな現世的なことは遥かに超えたところに、その想いはあるのです。
それでも亡くした相手の為にも、悲しませないためにも、私たちは生き抜くべきだという事はわかっています。贖罪の為や、供養の為でもあるし、スピリット・ワールドにお土産話を持っていく為かもしれません。亡くなった方が誇りに思える自分になる為かもしれません。
私の場合は、あの子の為に死んだ私になってはいけない! というのが始まりでした。娘を殺人犯にするようなものだと思ったのです。
だから周りの人が心配しなくても、ちゃんと頭では分かっているのです。しかし、思考より感情がはるかに自身の支配をしていて、思考ではどうにもコントロール出来ないのが実情ですから、周りに言われれば言われるほど追いつめられて、最悪は死なないギリギリのバランスが崩れてしまうこともあるのです。
時を重ねて思考が自分をコントロールし始めますが、感情的なことが癒されたとか薄まってきたとは違い、感情は深まっていきますが、思考を優先できる時間を持てるスイッチを編み出した感じです。少しだけコントロール可能になってきたというべきでしょうか。
でもこのスイッチを入れたままにすると、感情が閉じ込められてもっと深く闇の中に行きますので、感情を優先する時間も、今まで以上に気遣う必要があります。
こんな状況で、我々はどのように生きたらいいのでしょうか?
悲しみは変わらない。
もう心の底から笑えない。
人生の殆どを失った……。
今までの自分ではない、新しい生き方を見つけていくしかありません。
ありのままの自分をそのままで許し、抱きしめて、愛する亡くなった方をも抱きしめながら、生きる意味をみつけて最後まで生き抜ける何かを見つけなければ、あまりにも人生は過酷すぎます……。
-新しい生き方を見つける-
これらの経験をした人が、亡くなった方が生きていた時と同じように生きて、同じように感じることは、もはや不可能です。
ですから、世の中にはこの経験を境に、生き方も考え方も大きく変革する人が多いのです。
確かに身を隠すように、静かになり人前に出なくなり、とてもさみしい人生を送り続けた人もいます。
でも、そうではなく自分の経験を生かしたり、全く違う事を始めた人も多く居るのも事実です。
それを選ぶのは貴方です。