山陰一のパワースポット!?龍神を操る出世と改革の神☆大己貴神・1

鳥取県の霊峰・大山の大神山神社奥宮。実は古代出雲王朝があったのではともいわれるのがこの大山の麓。そんな大山は大国主大神(大己貴神)の御神体ともいわれ、数々の大国主大神の神話が今に伝えられる地でもあるのです。その魅力を語り尽くす第一弾。

「一番好きな神社はどこですか?」と尋ねられて答えるのは、鳥取県の霊峰・大山(だいせん)の大神山神社奥宮(おおかみやまじんじゃ。・おくみや)です。

え?島根バカだから島根の神社じゃないのかって?

なにを仰る、鳥取県は一時的とはいえ、島根県だった事もあるんですよ。

……と、豆知識を披露しつつ、実は古代出雲王朝があったのではともいわれるのがこの大山の麓。そんな大山は大国主大神(大己貴神)の御神体ともいわれ、数々の大国主大神の神話が今に伝えられる地でもあるのです。

 

大神山神社奥宮の歴史

海抜約900メートルという高地に鎮座するこの神社は、大山に登った修験者が簡単な遥拝所を設けた事が始まりとされ、創建は出雲風土記にも火神岳(ひのかみだけ・大神岳)として記載があり、平安時代の「続日本後記」などにも「伯耆国大山神」と記されている事から、大山が古くより神の宿る山として信仰されてきたことがうかがえます。

修験の地として始まった大山山麓には、もともと伯耆大山寺という寺はなく、中門院(ちゅうもんいん)・南光院(なんこういん)・西明院(さいみょういん)の三院があり、その三院の総称として室町時代以降に呼ばれるようになったそうです。

三院の中心理念として地蔵菩薩が祀られ、その称号を大智明権現(だいちみょうごんげん)といい、祀られた社が大智明権現社であり、明治初頭の神仏分離令にて大智明権現社が現在の大神山神社奥宮へと至ったそうです。

また、冬の間は雪深く祭事に支障がある為、麓には大神山神社冬宮が鎮座いしています。雪の降らない間祭事が行われる奥宮は、別名夏宮とも呼ばれています。

大神山神社

 

日本一の自然石を敷き詰めた参道を歩く

鳥居をくぐると、日本一長い自然石を敷き詰めた「御幸参道」と呼ばれる約700メートルの参道が続きます。

うねる様に続く参道、敷き詰められた自然石はまるで龍の身体の様。この参道は終始大山と日本海を行き来する龍の通り道の様にも感じられるのです。

鳥居

銅鳥居を一礼してくぐると、御神氣が先程とは比べものにならないほど清々しくなるのを感じます。神域を肌で感じるその境、それがこの銅鳥居なのです。


銅鳥居

銅鳥居をくぐった先には手水舎があり、このお水は御神水と呼ばれ、昔から僧兵や参拝者、そして登山者の喉を潤してきました。豊富に湧き出る霊峰大山の水は浄化力も高く、天然石を清めると瞬時に輝きを増します。水も癖がなく、甘く美味しいので、是非参拝時には空いたペットボトルなどを持ってきて、汲んで帰る事をおススメしますよ。

御神水

 

龍を感じる階段

西楽院の門として寄贈された神門は門の前後が逆である為、違い門とも呼ばれます。
この神門をくぐると、神社まであと少しです。

神門

参道を流れる風は、一気にこの門を通り抜け神社へと向かいます。
また大山山頂からは神社を通り、御神氣を乗せた風が通り抜けます。

その風と御神氣の流れからか、近年は出世運気の神社として風水を中心に注目されている神社なのです。

階段

通り抜ける風を感じながら目を閉じると、瞼に龍の姿が浮かびます。龍を体いっぱいに受け止め感じられる場所なのかもしれません。

階段2

これは今から5年前の11月6日の午前の写真です。旧暦に直すと10月1日ですから、丁度神在月に入った日ですね。神々は出雲大社への参る前に、大神山神社にも龍に乗って立ち寄られたのかもしれませんね。

さて、そんな大神山神社、やはり一番好きな神社ですので今回だけではその魅力は語り尽くせず。次回に続きますね。

 

10月30日~11月4日まで東京・神奈川・静岡に出張しています。
出張セッションなどの詳しい内容はHPをご覧くださいませ。→http://tukisarara.com/

 

前回の記事はコチラ:
ファッションチェックは出雲一厳しい!?勾玉の神☆櫛明玉神