補陀落渡海とシュメール神話 〜 王と女神の神聖結婚 中編

補陀落渡海

紀伊半島の南端・熊野には、16世紀末まで、補陀落渡海(ふだらくとかい)という習慣がありました 。僧侶が、海の底にある補陀落浄土にすむ補陀落観音の下に船出したのです。船出といっても、わずかな食料を携えただけの片道の旅で、死ぬことを前提とした生贄のようなものでした。

補陀落渡海は平安時代から戦国時代末まで続いたといわれています。おそらくは、 もともとあった生贄の風習 が、仏教伝来後、浄土や観音といった仏教風の味付けに代わったのでしょう。

なぜ平安時代から始まったのかといえば、仏教が普及する以前は、生贄が悪いことという倫理観がなかったので、あたりまえに生贄の儀式として行われていたからです。仏教の浸透と共に、生贄が殺生であるという倫理観が広がり、僧侶が補陀落観音に会いに行くという形に変容したのです。とはいえ、海の女神に男を捧げるという基本的な形式は同じです。

東南アジアの南の果てインドネシアのジャワ島と、ヨーロッパの北の端デンマーク、ユーラシア大陸の東の果て日本に、同じような女神と王との聖婚の儀式が伝わっていたとは興味深いことですが、その起源が古代メソポタミア(シュメール文明)で、東と西に伝播していったと考えれば、ありえる事かもしれません。

願いを叶える暗黒の女神 繁栄の報いは死後に受ける

ベオウルフの女神は、契った相手に富と権力を約束し、王権を授けます。生きている間は、女神の力で王と王国の繁栄は続きますが、 死を迎えると、女神が迎えに来て海の底の女神の国に連れていかれるのです。 古来、冥界とは暗くて寒い死者の国とされているので、「生きてる間は繁栄が続くが、死んだあとは地獄に落ちる」というイメージでしょうか。

ちなみに、日本の補陀落渡海には王権を与えられるという側面はありません。もっと昔の縄文時代にはあったのかもしれませんが、長い年月の中でその部分は忘れ去られて、海の底にいる女神に男の生贄を捧げる処のみが残ったのでしょう。

補陀落渡海

 

スカルノ元大統領とニャイロロキドゥル

一方、ジャワ島では、つい最近まで「女神が王権を授ける」要素が残っていました。クレージージャーニーによると、スカルノ元大統領所有のリゾートホテルの一室に、ニャイロロキドゥルが降臨する部屋があるそうです。それによると、ジャワ島では、最近まで聖婚の伝統が続いており、 スカルノ元大統領も、大統領に成り上がる際にニャイロロキドゥルの力を用いた といわれているのです。彼はもう鬼籍に入っていますから、ベオウルフのように、臨終のときには女神が迎えに来たのでしょうか。

番組によると、スカルノ元大統領の第三婦人であるデビ婦人は、その部屋にあるニャイロロキドゥルの肖像に似ているそうで、彼にとっては富と権力をもたらす女神ニャイロロキドゥルだったのかもしれません。ただ美しいから結婚しただけではない……というようなことを示唆していました。

デビ夫人は、右翼の大物児玉誉男の紹介で元大統領に会い、結婚したといわれています。一介の庶民から大統領夫人にまで成り上がったこの方も、大統領以上のサクセスストーリーの持ち主です。ちなみにニャイロロキドゥルは女神ですから、この女神と契約するのは男性に限られています。

補陀落渡海

富と権力をもたらす怖い女神

日本では、王権を与える女神としての側面はもはやありませんが、 怖い女神 であることは伝わっています。なぜならば、この女神が祀られている多くの処に、生贄の習慣があったからです。

本来は王の身代わりたる成人男性を捧げるのですが、貴重な労働力である働き盛りの男性を殺すのは生産力の低下に繋がりますし、そもそも、いやがる成人男性を殺すのは至難の業です。そのせいか、実際には 男の子、主に男の幼児が生贄に捧げられていました。 貧しい時代には口減らしの要素もあったのかもしれません。

日本にも、今でも、この女神を祀っているパワースポットや神社があります。もちろん、ニャイロロキドゥルでもイナンナでもなく、日本の名前で祀られています。この女神にはもう一つの怖い側面があります。穏やかなる時は富と豊穣をもたらしますが、荒ぶる時は津波をもたらすからです。

つづく

後編 「崖の上のポニョとシュメール神話」 に続く


マユリ

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