日本に伝わったエジプト魔術 大和朝廷の怨霊封印の呪術 〜 オシリスの復活の儀式

大和朝廷

こんにちは、マユリです。

マユリは、日本の神社や神々のルーツについて、「続々・神々の履歴書」を配信させていただいています。日本古来の神々と思われているものの多くは、エジプトやシュメール、イスラエルなどの古代中近東をルーツとしているのです。

さて、前回は、 伊勢外宮には、エジプトの冥界神・オシリスとその兄弟たち(イシス・セト・ネフティス)が祀られている ことをお話させていただきました。

なぜ、日本の由緒ある神社に、古代エジプトの神々が祀られているのでしょうか?

実は、大和朝廷と古代エジプト、ひいては日本の呪術と古代エジプト魔術は深い関係があります。

第5回では、それを示唆するビジョンを、一部ご紹介いたしましょう。

 

大和朝廷に成敗された豪族の王

このお話は、15年ほど前、あるクライアントさんが、「旅先で体調が悪くなり、どうももらったらしい」と除霊にこられたときのことです。

確かに、霊が憑いています。その霊は、 古代の豪族の王でした。南の方から、敵が攻めてきて、ぼろ負けして殺されたのです。

「南の方から? それは、大和朝廷?」

霊に尋ねても、返事がありません。よくよく考えると、当時の人々が、大和朝廷と呼んでいたはずもなく、わかるはずもありません。

けれども「南の方から敵が攻めてくるとは聞いていたが、まさかこれほど強いとは思いもよらなかった」といっていたので、おそらく大和朝廷かと思います。大国主のビジョンを見た方も、同じようなことを言っていたので、大和朝廷と土着の豪族との軍事力の差は歴然だったようです。

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さて、豪族の王は、矢をうたれ、蜂の巣のようになってこと切れました。
そのあと、奇妙な儀式が始まったのです。

 

大和朝廷の怨霊封じの儀式

遺体の周りに、6人の、黒い狩衣に、歌舞伎の黒子のような顔隠しをつけた人々が立ちました。

手にはお香を持っていて、香を焚きながら呪文のようなものを唱えています。その呪文を唱えると死んだ豪族の王が苦しみます。いえ、すでに死んでいるので、苦しいと感じているのは彼の魂なのですが、「全身を縄で締め付けられる」ように感じて苦しんでいるのです。

これは、どうみても弔いではありません……おそらく、 怨霊封じの儀式でしょう。
当時の人々は、非業の死を遂げたものは怨霊となって祟ると信じていましたから「征服された人々が自分たちに祟らないようにする」ために、細心の注意を払っていたのです。

呪文の後、奇妙な光景が始まりました。

王の体を、パーツごとに、細かく切り刻みだしたのです。切り刻んだ体は、別々のところに埋めたようでした。

この不気味な儀式も、怨霊封じの一環でしょうが……なかなかホラーな光景だったので印象に残りました。

 

征夷大将軍 坂上田村麻呂

あれ? 6人は、平安貴族のような狩衣を着ています……つまり、大和朝廷と時代が違う……ということは、これは平安時代の話なのでしょうか?

その光景を少し離れたところから見ている身分の高いそうな人がみえました。リーダーのようです。名前を着たところ、 「坂上田村麻呂」 と帰ってきました。

征夷大将軍・坂上田村麻呂といえば、蝦夷といわれた東北を平定した大和朝廷(朝廷)の大将軍です。だとすれば、6人が狩衣姿だったのも合点がいきます。

 

オシリスの復活の儀式

「あの不気味な光景はなんだったのか……」疑問が残りました。

ふと古本屋で、山岸涼子さんの「イシス」という単行本を手にした時です。
イシスとは、エジプトの神話の女神で、冥界神オシリスの妻です。実は、私はこの時まで、エジプト神話については、よく知りませんでした。

古代エジプトの伝説の王オシリスは、弟セトに暗殺され、王位を奪われます。その際、セトはオシリスが二度と復活しないように、体をバラバラにして、それぞれ別々に捨てるのです。

死後の世界を信じる古代エジプト人は、死者が復活するためには、肉体の保存が必須と考えていました。だから、ミイラを作ったのです。裏を返せば、肉体さえなくしてしまえば、復活することはできません。だから、セトはオシリスの復活を阻むために、肉体をバラバラにしたのです。

「え! これって、坂上田村麻呂のビジョンとそっくり!」

なるほど! 豪族の王が二度と復活しないように、バラバラに切り刻んだのか!——この時、ビジョンの意味が分かったのです。

 

日本書記にかかれたオシリスの儀式

調べてみたら、日本書記にも、大和朝廷初代天皇・神武天皇の東征の際に、同じようなことが書かれていました。

日本書記 「巻第三 神武天皇即位前期 戌午年六月」の冒頭

「旧暦6月1日、軍が名草邑につき、そこで名草戸畔(なぐさとべ)という名のものを誅殺した。」 とあります。

名草戸畔(なぐさとべ) とは、当時、和歌山の一部を治めていた女性の酋長で、神武天皇(いわれひこのみこと)と戦って殺されました。 地元の伝承によると、頭・胴・足が切り離されたとあります。

頭は宇賀部(うがべ)神社、胴は杉尾神社、足は千種神社に埋葬されたといわれ、地元では、それぞれ、おこべさん、おはらさん、あしがみさん、とよばれているようです。

ここでも、大和朝廷は、征服した豪族の長を、バラバラにして埋めています。

神武天皇の行った、怨霊封じの儀式は、平安時代の坂上田村麻呂まで、しっかり受け継がれていたのです。

 

続く

 

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