こんにちはマユリです。
上では、ヒロイン菜穂子と黒魔術について解説しました。
今回は、主人公二郎と悪魔との関係を見ていきましょう。
二郎は何故零戦設計者になったのか — カプローニとメフィストフェレス
少年時代の二郎は、大変夢想家で、敬愛するイタリアの飛行機設計者カプローニと、夢の中で会話していました。
夢の中で、カプローニが、二郎に飛行機設計者になることを促したのです。
宮崎駿はカプローニの声優に「メフィストフェレス」のように演じるように演技指導しています。
メフィストフェレスとは、ゲーテのファウストに出てくる悪魔のことです。
二郎は悪魔憑きなのか!?
次郎とカプローニの関係は、西洋の物語の「悪魔」と「悪魔に憑かれた人」の関係に似ています。
悪魔は、憑依者の夢やビジョンに現れて、お告げやアドバイスをくれるのです。
神(悪魔)に選ばれしもの「堀越二郎」
西洋には「神に選ばれしもの」という言葉があります。神が、「神の聖なる計画のために、使命を帯びた者を選ぶ」という意味です。
そういう意味で、二郎は「悪魔に選ばれしもの」です。
零戦は、「戦闘機としての機能を最優先し、搭乗者の安全を度外視した戦闘機」です。
裸のガソリンタンクの上に生身の人間が乗ってるようなもので、まさに玉砕機として設計されています。
堀越二郎は、そんなものを嬉々として作っていたのです。
二郎は才能あるサイコパス
さて、何故、二郎は悪魔に選ばれたのでしょうか?
それは二郎が「才能あるサイコパス」だからです。
彼の世界には自分しかいません。
彼にとって、自分の周囲は、霞にかかっているようなリアリティのない世界なのです。
その事をよく表しているのが、関東大震災のシーンです。
地震で街が燃え盛る中、二郎はふと、「カプローニと飛行機の絵葉書」を拾います。
そしてこう呟きます。
「本当に作ってしまったんだ。だからカプローニさんの夢は壮大だ。」
いやいや、周りは火事であたふたしてる最中ですー普通こんなこといえません、というか思いつきやしません!
二郎には周りは全く見えていません。自分の外の世界には興味ゼロなのです。
「彼の世界には、彼しかいない」ので、二郎は他者に共感を示しません。
そういう意味で彼はサイコパスなのです。
悪魔に選ばれし要因 — 共感性の欠如
そのことをよく表しているのが、貧しい女の子にお菓子をあげるシーンです。
プライドを傷つけられた少女は、二郎を睨みつけて去るのですが、彼は事態を理解できません。
他人の感情が理解できないのです。
この「他者に共感を示せない」という資質こそ、「大量殺戮兵器を、良心の咎めなく粛々と作ることができる必須の要因」であり、そこを、悪魔に見込まれたのです。
次郎の親友で、同じ零戦設計者の本庄に、「これは仕事だから僕は作るんだ。」というセリフがあります。
本庄は、そう言い聞かせることによって、自分の良心を封印しているのです。
でも二郎は違います。鼻からそんなこと考えもしません。彼には一部の葛藤もありません。
「負の側面を忘れようとする」のではなく、元から何も見えていないし、感じてないのです。
「でも、二郎はいじめられっ子を助けたり、骨折した清さんを助けてますよね?」
おそらく、「困った人を見たら助けなさい」とでも幼少期に教え込まれたのでしょう。
そう、教えられたから、そうしてるだけなので、少女に睨みつけられる意味がわからないのです。
彼は、育ちのいい「道徳心のあるサイコパス」なのです。
二郎と菜穂子の共通点 — 自分の欲望に忠実たれ!
二郎は一種の認知障害で、自分の周りが見えていません。彼は自分の興味のあるものしか見えないのです。
それが飛行機と可愛い女の子です。
そういう意味で、彼は自分の欲望に忠実です。
二郎の欲望とは、「素晴らしい飛行機を作るという……自分の夢を叶えること」です。
一方、菜穂子の夢は、「二郎さんが自分を好きになり、結婚する」ことです。そのためには、黒魔術に手を染めることも辞しません。
彼女もまた、自らの欲望に忠実です。
人の出会いに偶然はないといいます。
そういう意味で、2人は魂を同じくするもの、出会うべくして出会った運命の2人なのです。
二郎は菜穂子にインスパイアされる
うがった言い方をすれば、2人は、「悪魔憑き男」と「黒魔術女」、共に悪魔に魅入られしものです。
二郎はせっかく悪魔に見込まれて「玉砕兵器を作るという使命を担った」のに、失敗ばかりして、なかなかうまくいきません。
そこで天の采配ならぬ悪魔の采配で、菜穂子がよこされたのです。
二郎をインスパイアして、使命を完遂させるために。
黒魔術を行なった者には、悪魔が憑依します。菜穂子もまた悪魔憑きなのです。
菜穂子の命が二郎に注ぎ込まれ、ついに玉砕兵器零戦が完成します。
そうして、与えられた使命を果たし終えた菜穂子は、二郎の下を去ったのです。
宮崎駿は何を言いたかったのか?
私は「風立ちぬ」をみて、二郎からオッペンハイマーを連想しました。
オッペンハイマーは、アメリカの原子爆弾を作るマンハッタン計画の中心人物で、この計画には、二郎や本庄のような多くの優秀な科学者が参加していました。
彼らは、原子爆弾という、零戦を何十倍もハイスペック化した大量殺戮兵器を、あるものは嬉々として、あるものは葛藤しながら、作り上げたのです。
そういう意味で「風立ちぬ」は、三浦春馬さんの遺作「太陽の子」と同じような、反戦映画なのです。
二郎は地獄に堕ちたのか?
この物語のラストで、二郎は、零戦の残骸が累々と連なる草原に、カプローニと一緒に赴きます。
その光景は、まるで死後の世界のようです。
「地獄のようだ」
零戦の残骸を見て二郎が呟きます。
いったい、どれだけの未来ある若者が、彼の作った殺人飛行機で、命を落としたのでしょうか……
この地獄の光景を作り上げたのは、他ならぬ自分自身なのに、相変わらず人事のように呟くのです。
この後に及んでも、彼は自分のしたこと「自分の罪深さ」を自覚できません。
菜穂子の幻影がやってきて、二郎にメッセージを告げます。
「生きて」
「あなたは、ここに来てはいけない、生きて」そう言い残して、菜穂子は、消えてしまいます。
菜穂子は、二郎を救いたかったのです。
それでも、二郎は菜穂子の渾身のメッセージを受け取る事ができません……
カプローニが二郎に語りかけます。
「あっちに行って一緒にワインでも飲もう」
二郎は誘われるままに行ってしまいます。
カプローニは悪魔ですから、ついて行ってはだめなのです。
彼と行くその先は、地獄です——この物語は、二郎が地獄に堕ちることを示唆して終わるのです——
なぜ宮崎駿の最後のアニメが黒魔術批判なのか?
「悪魔なんていないし、地獄なんてないから」なんて言わないでくださいね。宮崎駿がそういったものを信じているのかどうかは知りませんが、「風立ちぬ」は、あくまでも物語なのです。
特筆すべきことは、通常アニメでは、夢のある素晴らしいものとして描かれる魔術を、宮崎は、徹底して批判したのです。
「魔術の力で好きな人を手に入れた」菜穂子は破滅します。
「悪魔と共に夢を実現した」二郎は、地獄に落ちるのです。
かつて魔術師ハウルと契約の悪魔カルシファーをウキウキと描いた宮崎駿に、いったい、何があったのでしょうか?
魔術とは、大変危険なものです。一つ間違うと命に関わります。
軽い気持ちで関わると、人生を踏み外しかねないものなのです。
宮崎もまた、いえ、彼だからこそ、そんな魔術の深淵をかいまみたのかもしれません。
マユリ
注:ここで語っている堀越二郎は、アニメ登場人物であって、実在の堀越二郎氏ではありません。
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