私の人生と霊界~My life with the spirit world/マーティン・ジョーンズ 後編

6歳の時ですが、家の居間に一人の男性が立っているのが見えました。

現在もその家には母親が住んでいますが、その時のこの男性はスーツ姿で、私には何も言いませんでした私は隣のキッチンに行き、またすぐに居間に戻ると彼はいなくなっていました彼は誰だろう、なぜ家にいたんだろうと不思議に思ったのを覚えています。

なぜか私はこのことを母親には話しませんでした。物質的な姿で霊を見たのは、この時が初めてです。
普通に見かける人間のようにとてもリアルでした。

私の愛するお祖母さんパトリシア・クインは私が9歳の時に亡くなったのですが、この時に初めて私は霊界に渡った人々を見る能力、彼らと話す能力があることに気づきました。
私はよく母親に、おばあちゃんがいるよ。と伝え、おばあちゃんが母親に伝えたがっていることを話したものです。
私はお祖母さんが大好きで、リムリックのお祖母さんの家では何枚もの毛布にくるんでくれて「アベマリア」のお祈りをしてくれた心温まる大切な思い出があります。
お祖母さんといるととても安心し、愛されていることを実感しました。

私の愛する人で二番目に亡くなったのは祖父のマーティン・クィンで、私が15歳の時でした。
家族の問題があって、祖父が亡くなる前の6年間はまったく会っていませんでした。
棺の中の祖父を見て、その顔に触れた時のことを覚えています。とても悲しくなりました。
どこかですれ違っても祖父とは気づかないくらい変り果てていたからです。

祖父が亡くなって霊界にいったことで、私のミディアムシップの意識や霊界への気づきはさらに高まりました。
21歳になるまで毎日、祖父が一緒にいることがわかっていました。
ある時点で、突然祖父の存在がわかってそれが数日続いたと思うと、その存在がまったくわからない日々が続いたりするようになりました。

それで、祖父に何処にいるの? と尋ねると、こう答えてくれました。
「死ぬ前の6年間はお前の人生に居られなかったから、その埋め合わせをしたかったんだ。もう6年が経ったね。」
そしてこう続けました。
「愛しているよ。私を必要とする時はかならずそばに来るからね。けれど、霊界をもっと知るためにこれからは離れる時間も増えてゆくよ。」

 

私は祖父母のことを命の限り愛しています。

二人は今も、私のヒーリングとミディアムシップを助けてくれています。

子供の頃、私は深刻な喘息を患っていて、5歳から12歳になるまで入退院を定期的に繰り返していました。
喘息の発作や肺感染症に常にかかっていたため、学校に行けなかった時期は合計で3年にもなりました。

毎週、地元の小児病院で診察を受けては病院内のあらゆる区画に行って理学療法を受けたのを覚えています。
私はこれが嫌でした。

理学療法士達は手をカップのようにして私の胸や背中や肋骨を繰り返し叩くからです。
そうして私の肺の中の痰を緩めて、私が咳をすることで痰を出せるようになる。すると呼吸が楽になるからということでした。とても不快で痛みも伴いましたが、スタッフの人達はいつもとても親切に優しくしてくれました。

帰宅すると、今度は母親が私を椅子に座らせてスピリチュアル・ヒーリングを施してくれました。
初めに覚えた感覚は、母親の愛に満ちた思いやりと私の肩や背中に置いた母親の手の暖かさです。
私は母親にこれがどういう仕組みで効くのか、どのように調子が良くなるのかを尋ねたものです。
ヒーリングを受けている間に、それは鮮やかな美しい色が見えたり、幸福感・愛・平和の感覚を味わったものです。
あらゆる濃淡の美しい青や紫が見えたり、明るいグリーンやピンクの形やフォーメーションが見えました。
何年も後になってテレビで宇宙空間についての番組を見ていた時に、同じ色やフォーメーションが見えました。

ヒーリングを受けるという素晴らしい体験をした私はスピリチュアル・ヒーリングに対する好奇心が刺激されました。
母親にもっと教えてと言うと、母親は嬉しそうに同意してくれました。

 

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