私の人生と霊界〜My life with the spirit world/マーティン・ジョーンズ 前編

パート1-幼少期

私は1978年9月にダルィッチ病院で生まれ、ロンドン南東で育ちました。
両親の名前はマーガレット・ジョーンズとグラハム・ジョーンズ。
母は南アイルランドのリムリック出身、父はウェールズの出身です。

父は警察官で刑事でしたが、人の話によるとあまり誠実ではなかったようです。
母と父は私が二歳の時に離婚しました。
私が5歳になるまで、父は私にたまに会いに来ていました。

その頃に父は再婚し、それ以来彼には会っていませんし連絡もありません。
家から1.6キロも離れていない地元のパブにはどうも足繁く通い続けていたようです。
ジミーという男性がいて、私と母がこのジミーにばったり会うと何日か前、あるいは何週間か前に父をそのパブで見かけたと言っていました。
そんなに近くに来ているのに、どうして私には会いに来ないのだろうと少し混乱したものです。

ですが、もう悲しい思いはありません。
私には素晴らしい母親がいて、母親は親二人分以上に私を愛してくれたからです。
愛や思いやりのない両親に育てられている子供は大勢います。
私は常に愛されていましたし、食べ物や住む場所をはじめ子供にとって必要なものはすべて与えられていました。
こういった有難さを、私達はつい忘れてしまいがちです。

父方の祖父母の記憶はほとんどありません。
ただ、父方の祖父フレッドは優しい男性だったことは覚えています。
祖母に関してはほとんど記憶がありません。

父親についてはあまり多くは覚えていません。
子供の頃は私の元を去っていったこと、母に対して酷いことをしたことに怒っていました。
10代に成長するにつれ、怒りは心身の健康に大きな害を与えること、怒りを手放すと自分にとってとても良いのだということに気づきました。

人生を理解してゆくにつれ、またあらゆる家庭が崩壊してゆくのを見て、家族関係というものの複雑さがわかってきました。
こうして父親に対する恨みを手放すことができました。
結局のところ、この父親のお陰で私はこの世界に関わることになったのです。
彼には幸せで健康でいてほしいと願っています。

私の幼少期は複雑でした。
身体が弱く、母親以外の家族とはほとんど繋がりがない、もしくはまったく関わりがありませんでした。
たった二人の家族でしたが、素晴らしいチームでした。

子供の頃は何か辛いことがあったら、自分よりもっともっと苦しんでいる子供たちがたくさんいるのだと自分にいつも言い聞かせていました。
辛い経験を経てこそ私達は思いやりの心、共感、理解が育まれるのです。

私は4歳のころから人の周りにあらゆる色が見えるようになったのを覚えています。

それを見てその人はハッピーなのか悲しんでいるのか、優しい人なのかそうでないかもわかりました。
私はとても敏感な子供で、たいていの子供達よりも人々についてよくわかっていたようです。
ホームレスの人や苦しんでいる人々を見るととても悲しくなったのを覚えています。
それから二~三年のうちに感受性が発達し、霊界の存在がもっとよくわかるようになりました。

 

また、動物たちのオーラを見ることもできました。特に犬です。

これは私が昔からずっと大の犬好きだからかもしれません、犬はそれは優しく愛情に満ちていて、人間ととても強い絆をもっています。

祖母に言われたことは今でも残っています。
「動物や子供に嫌われる人がいたら、それはその人に性格的な問題があるんだよ。」

私には明晰夢を見るという素晴らしい能力がありました。
夢の中で完全に明晰な思考を得て、ワクワクしながら夢を探検することができたのです。
前夜に見た夢の続きを次の夜に見ることもできました。
前夜目覚めた瞬間とその場所に行ってそこから夢を始めることができたのです。
それから数年の間に私の夢は変化し、日常生活で起きそうな状況や出来事を夢に見るようになりました。

その夢にはメッセージが含まれていたり、特定の結果を招かないように、振舞いに気を付けるようにというちょっとした警告が含まれていることがよくありました。
こういったことがあって、自分にはとても強い直感があること、自分は実際にサイキックなのだと気づいたのです。

 

——後編に続く——

 

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