自分の意識を焚きつけよ 秋葉山本宮秋葉神社(上社)~一般人卒業レポート~

自分ができない事は神に託しきることでその願いは神の御業になります。皿に思い描いた願いへの執着を解き放ち、神の御業に託しましょう。

静岡県浜松市鎮座する。日本全国に点在する秋葉神社400社の中の総本山。
御際神は火之迦具土大神(カグヅチ)。イザナギ・イザナミの神の子で火の神であるが故にカグヅチを出産と同時にイザナミは陰部を火傷して黄泉の国に行くことになりました。イザナギはイザナミを殺したカグヅチを怒り、殺してしまいました。

そんな母殺しの火の神。カグヅチ火の神らしくとても雄々しく力強いエネルギーを放っていました。
巨大にそびえ立つ鳥居と狛犬からもその力強さを感じられます。
本殿に向かう参道は綺麗に整備された石段。とても綺麗に登りやすいのですが、一体どこまで続くのだろうと神の道が美しくも長い道のりであるということを彷彿とさせてくれます。
その参道の途中に神門があり、その門の四隅を四神(ししん)が守っています。

写真左上から 北の玄武 西の白虎 写真下左から 南の朱雀 東の青龍

写真左上から 北の玄武 西の白虎 写真下左から 南の朱雀 東の青龍

 

神門をくぐりぬけさらに石段を登って行くとそこにはようやく境内に入ります。

画像2

画像3

 

社殿入口にはこのような投げ皿の投射所があります。自分の懇願する思いをお皿に書きだしこの投射所から、写真の下奥に見えている銀色の輪の中をめがけて投げいれます。

画像4

画像5

 

神社ではしばしこのようなアトラクションがあり、童心に戻り思い切り楽しむことをお勧めします。頭の中で、または心の中でひそかに思い描く願いを言葉という文字に起そうとするとなぜかすぐには出てこない、それだけ自分自身に素直になることを忘れているのか、言葉にすることで自分に欲深さを思い知らされるのか、どちらにせよ、その思いのたけを改めて書きだすという作業は、自分自身を見返すきっかけになります。神は全てをお見通しですのでここで素直に自分の願いと向き合いましょう。

 

秋葉神社の神からのメッセージ

「あなたは自分と向き合います。素直な自分と向き合います。その素直で実直な思いを自分にむけ炎のごとく燃えあげなさい。不要なものは炎の中で燃え上がり灰となる。純粋な自分自身の心のともし火をいつも絶やすことなく燃やし続けなさい。
火は時として全てを燃やしつくし破壊を産む。そして、火はその熱により新しいものを産み出す力にもなりうる。不要な思い煩いを私が焼き払おう、そしてあなたに必要なものだけを洗練しあなたに焚きつけよう。命の火を絶やすことなく常に燃え続けさせなさい。あなたがその存在することによって既にそれは、命の火として価値あるものとし存在する。なら、あなたに必要なものにエネルギーを燃やし与えよう。」

 

投射所で投げたものとは

皿に書いた願いは思い煩いを皿にしたため、まっさらにする。白紙にする。という意味も込められているのではないでしょうか? 願いは全て叶えることができる。ただ、叶わないことを信じていることによって叶うものも叶わなくなる。その思い煩いを神に託し、物質的な皿に託し、それを手放すことで、無限の神へとその思いは届けられます。その輪の中に入らずともその願いが自分の内側から言葉として表に現され、それを手放すことで願いは願いではなくなります。願いを叶えるにはそれを願っているようであればそれは永遠に願いであり、懇願成就させたいのであれば、手放すこと。自分の中の思考し模索し続けてもできない事は、神へ託すことにより、思考に空間というスペースを与えます。このスペースは空であり、そして空とは宙になり、宇宙の中に投げ込まれます。自分ができない事は神に託しきることでその願いは神の御業になります。皿に思い描いた願いへの執着を解き放ち、神の御業に託しましょう。

 

《町田真知子さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/machidamachiko/?c=108723