嫌われたくなければコトバに気をつけて! ~悪意がなくても嫌われる~

やっぱり嫌われたくないよね?

私たちは本音を言えば誰だって嫌われたくないと思います。
「そんなことありません! 嫌われる勇気なくして人生を勝ち取ることはできません!」という人もいるかもしれません。

確かにその通りなのですが別に「私、嫌われたいの!」という意味ではありませんよね。
本当は嫌われなくて済むのなら嫌われないに越したことはありません。
結果的に嫌われてしまっても、それはそれで仕方がないよねという意味だと思います。

 

媚びろということじゃないですよ!

コミュニケーションを大事にするという話をすると「八方美人」とか「ゴマすり」とか「妥協」とか「自分の意見を言わない」とか「長いものに巻かれろ」とか、ネガティヴなイメージを浮かべる人がいるかもしれません。

コミュニケーションは決して、そのような『媚び』と結びつけない方が良いです。
時には衝突や摩擦が生じてしまったとしてもそれは結果論にすぎません。基本は『円滑』です。

円滑というと、何の苦労も問題もなく思い通りに……というイメージにつながりやすいですが、それは正直ちょっと難しいのではないかと思います。

コミュニケーションというのは、自分ではない存在を触れ合う作業です。
だから必ず自分の思い通りにストレートに物事が運ぶというわけではないのです。

だからこそ自分ではない存在と交流して、意見を言い合ったり、相手の気持ちを組んだり、そこから新たな意見が生まれたり、新たな関係が生まれたりするのです。

媚びも場合によっては有効です。
でも媚びているだけだとパワーバランスが明かに崩れてしまうのです。
一方に負荷がかかりすぎてしまうので、結果的に頑張って媚びても円滑とは言い難いのです。

 

悪いことした覚えはないけど嫌われる!?

できれば円滑なコミュニケーションをとりたい。
別に嫌われたいわけじゃない。
なのに、なぜか誰かとコミュニケーションをとると険悪なムードになってしまう。
私は決して悪いことをしているわけではないと思っている。
なのに相手の態度はいったい何なのだろうか。
これはもしかしてイジメではないだろうか。

ときどき、そんなふうに思うことありませんか。

何故か嫌われてしまう。
その原因の一つにある呪文があるのです。
それは「ありのまま」です。

私たちはどうもこのコトバをカッコイイと思ってしまいがちです。
確かにその通りなのですが、このコトバは本当は奥が深いのです。
浅く解釈してしまうと、とんでこないことになってしまうのです。

「ありのまま=かざらない」「ありのまま=自由」「ありのまま=思ったことをする・言う」というイメージが強いのではないでしょうか。
もちろんそういう意味合いもありますが、それがすべてではないのです。

たとえば嫌われるタイプの人が『ありのままの呪縛』でどう失敗しているか一緒に見ていきましょう。

食事の席で突然「今日のご飯、おいしくないね……」と言われたらどうでしょうか。
少なくとも不快な気持ちになりますよね。
でも本人は「思ったことを言って何が悪いのかしら? ありのままのことを述べたまでよ?」とドヤ顔でいうわけです。

少しでも注意しようものなら「じゃあ、あなたはこれを美味しいと思うの? 私の分も差し上げましょうか? 残すと気分悪いし、私はこんなマズイもの食べたくないし。全部食べてね。あーよかった。こんなおいしくないもの、私、食べたくないもの!」と嫌悪感むき出しでこちらに敵意をぶつけてくるかもしれません。
そんな人、二度と関わりたくないですよね。