井戸端会議 de 人生が変わる? ~ 人と人とのつながりが環境を作る ~

井戸端会議のおばちゃんたち

先日、こんな話をチラッと聞きました。
プライバシーの問題もあるので、若干設定を変えてお話しますね。

ある問題のある家庭の男の子が家出をしたのだそうです。
それで……。

はい。
ここまでで十分です。
井戸端会議でおしゃべりするネタって、こういう不幸な話が多いのですよね。
人の不幸は蜜の味。

さも心配しているようなそぶりで熱弁していても、実際はまるっきり心配なんかしていないのです。
どちらかといえば、誰に頼まれたわけでもないのに評論したり批判的な意見を言ったりするのです。

都会ではあまりそういう井戸端会議的なものは減って来ているのかもしれませんが、まだまだそういう文化も残っているようです。

映画やドラマの話ならまだ良いですが、この手の井戸端会議の怖いところはリアルな存在を面白おかしく尾ひれ背ひれをつけて盛り上げてしまうところです。

そもそも地元の話題だったとしても、間接的に知っているだけで本当はそれほど接点がない人かもしれません。

事情が複雑な人であろうとなんだろうと芸能人でも何でもない普通の人が、おもしろおかしくネタにされて、気がつけば悪い意味で有名人になっていたというのは、決して良い気分ではないと思うのです。

おそらく道端で話題の人と遭遇したら「ほら、あの子!」と指をさしてさらにネタにされてしまうであろうことも簡単に想像がつきます。

もし本当に直接的な知り合いではなくても同じ地域に住む仲間として心配だというのなら、ネタにするのではなくその人が本当に困っているかどうかを調べて井戸端会議組で助けてあげれば良いと思うのです。
それはそれで人によっては有難迷惑かもしれませんが、街を守るヒーローみたいで少しはカッコ良いかもしれませんし、役に立てるかもしれません。

ちなみに私はその井戸端会議の参加者ではありません。
その場にいたら、おそらく話題を強引に変えていたか、その場を離れていたと思います。

 

笑っていられるのは今のうち?

井戸端会議は、おばちゃんたちがコミュニケーションを取る貴重な場です。
人と人とのつながりが弱くなって、お互いが無関心になってしまうとそれはそれで寂しいです。

スーパーの買い物帰りに、ちょっとおばちゃんたちが立ち止まっておしゃべりをして交流する。
これってとても素晴らしいことだと思うのです。

時には家では言えないような毒を吐きだすのもストレス解消になるかもしれません。
情報交換をしたり、共感し合ったり、とても有意義だと思います。

でも、先ほどの例のようにちょっと特殊な環境の人などをおもしろおかしくネタにするのはマナー違反です。

自分の知らぬところでネタにされている人も迷惑ですが、裏を返せば、いつどこで自分がネタにされていても不思議ではないということです。

別のスーパー(別にスーパーじゃなくて公園でも、道端でも構いませんが……)の出入り口あたりで、おばちゃんたちが自分をネタに話をしていたらと思うと怖くなりませんか。

「○○さん、いつも会うけど必ずカップ麺を大量に買っているのよね。料理できないのかしら?」なんて言われたら、悪意こそなくても、いたたまれない気持ちになりますよね。

自分もネタにされているかもしれないという不安感を常に抱えていたら、外に出るのが嫌になってしまう人もいるかもしれません。

しかも井戸端会議で変な話題をしているということは、周囲から見れば「いつも誰かをネタにしている人たち」と映っている可能性だってあるのです。
他人を見ているのは自分だけではないということを決して忘れてはならないのです。

井戸端会議で罪なき人をネタにするのはやはり危険です。
もちろん良い噂を流してあげるなら良いと思います。
お互いが、お互いを直接的にも間接的にも褒め合っていればコミュニケーションはますます円滑になりますものね。

 

実は自分のポジションを守るため?

井戸端会議でご近所さんをネタにする背景には少なからず裏があったりします。
意図的にやっているわけではないですが、自分と他人の生活レベルなどを比較しながらも安心したいのです。

平凡に暮らしているつもりではいるけれど、実は自分は『負け組』ではないだろうか。
そんなふうに無意識が不安になって他人のことが気になって仕方がないのかもしれません。

あるいは自分より不幸な(そのように見える)人をネタにすることで自分を『勝ち組』だと思い込みたいのかもしれません。

少なくとも地域で起きている事実を事実として受け止めようとか、そういう意図ではありません。

私たちは、どうしても自分で自分を認めてあげたり受け止めてあげたりすることが苦手です。
自分で自分を愛せないのです。
本当は可能なのですが、自信が持てないのです。

だから、誰かと自分を比較したりしないと不安で不安で仕方がないのです。
同時に他人の目が気になって仕方無いのです。

でも、実際はどうでしょう。

本当のところ、他人はそれほど自分に興味も関心も持ってくれていません。
それこそネタ程度にしか思われていないことが殆どです。
だから、自分のセルフイメージや社会的な(?)ポジションを守りたい気持ちは理解できるのですが、そんなにこだわらなくても良いのかなと思うのです。

どうせなら折角のコミュニケーションなのですから、笑いを取るなら笑いを取るで、もっと純粋に笑えた方が良いですよね。
そうすればお互いの信頼関係だって強まるかもしれません。

井戸端会議。

最近はあまり使われなくなった言葉ですが、良い意味でこれからも、その文化を残して行けたらとこっそり願っています。

 

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