どうしてわかってくれないの?~少しは察してくれたって良いじゃない!?~

たとえばタバコが苦手な人に話しかける時、タバコのニオイが染みついた服で近寄ったらどうでしょうか。
逃げますよね。
だって、その人からすれば臭くてたまらないのですから。
表情も大事です。
無愛想で近寄って来られたら関わりたくありません。
当たり前ですよね。

タイミングも大事です。
自分の都合だけで話しかけても困るのです。
相手の都合も考えないと本当に忙しいかもしれません。
都合が合わなければせめて、簡単に要点を書いたメモを渡すなり「○○頃までに連絡下さい」と書いたメモを渡すなりする配慮も必要です。

仮に相手が「さっきはゴメン。忙しくて。だから話を聞きに来たんだけどなに?」と行って来たとします。
その時、自分に手が離せない用があったとき、どんな対応をしますか。
「なんで、こんな忙しい時に来るの?」なんて態度を取っていませんか。自分がやられてイヤなことを相手にしていたら、その時点で嫌われますのでコミュニケーションが一層難しくなります。

また、辛そうな顔をしていれば相手から声をかけてくれるだろうとか、そういう「察して系」もコミュニケーションを悪化させるのでお勧めできません。
本当に辛かったり悲しかったりしたら「察してよ」ではなく、はやり直接誰に何を理解して欲しいのかを明確にした方が良いです。
察して貰えないから「私は嫌われているんだ……」とふさぎこむ人も時々いますが、それは飛躍しすぎです。

コミュニケーションの基本は思い遣りです。
あいさつひとつとってもそうです。
お互いが気分良く接することができるための気遣いなのです。
どこかで上から目線だったり自分本位過ぎだったりすると、話を聞いてもらなくなってしまうリスクが高まっても仕方が無い場合があります。

コミュニケーションというのは、言いかえれば相手の大切な人生の時間を割いて貰っているということなのです。
それに対する感謝の気持ちを持って接しているかどうかで、相手の反応は大きく変わって来ます。
「ありがとう」が言える人、言えない人の差も、意識レベルがまったく違うのです。

また愚痴しか言わない人は話を聞いて貰えなくて当然です。
「なんで話を聞いてくれないの?」って聞くまでもありません。
イヤだからに決まっています。

 

共感と理解……?

話を聴くというのは情報を共有することが前提です。
ただ、ここで勘違いしてはいけない事があります。
それは話を伝えたら「理解される」「共感される」と思わないことです。
理解するのも共感するのも相手です。自分ではありません。

長々とわかりづらい話をされたら、うんざりされてしまいます。
理解しない方が悪いという態度を取ったらアウトです。
それ以上先には進みませんし、嫌われます。

話下手が悪いということではありません。
伝わるように自分なりに気をつけようという配慮もものすごく重要です。
「なんで理解できないの?」という態度は関係性を壊します。

また理解と共感は違います。
どちらも「わかる」というコトバに置き換えられますが、状況に応じて「わかる」の意味合いは変わって来ます。
理解はできるけれど、共感できないこともあります。

「どうしてわかってくれないの?」と思った時は、それを口にする前に、理解して欲しいのか共感して欲しいのかを自問自答してみましょう。

特に共感は知性よりも感情的なものです。
だから、共感されないと安易に怒ってしまうのは、ちょっと一方的なのです。

極端な例ですが「腹が立ったから怒鳴りつけて物を破壊した」とします。
「腹が立った」ことは理解できても「怒鳴りつけた」と「物を破壊した」は共感できませんよね。
それに対して「あなたは私の気持ちをわかってくれないから冷酷非道な人だ!」と言われても困ってしまうのです。
何故なら、聞き手は、ちゃんと理解してくれているのですから。

言えば伝わる。これは事実です。
でも言えば共感される。
同感される。

言うことを聞いて貰えるというわけではないということも覚えておいた方が良いです。
それは自分のエゴであり相手の意思の尊重をしていないのです。

人は誰しも「わかって欲しい」と思っています。
だからこそ自分を前面に押し出すよりも、相手を尊重し、話を聞いて貰える場を作る意識を持ってみて下さい。

 

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