理想的な人生
人は誰しもしあわせになりたいと思って生きています。
本当は自分なりのしあわせ観を持って、それに沿った生き方をするのが良いと思います。
この記事を読んでいる人は、そういうことをちゃんと意識していて自分自身と向き合っているからこそ、この記事を読んで人生の軌道修正の参考にしてくれているのだと思います。
ただ漠然としていても、意識的に考えていなくても、私たちの潜在意識はその人なりの理想的な生き方、最善な生き方を考えて生活しています。
人間は習慣の生き物です。
日々の習慣が自分というキャラクターを作り出し、自分の人生を作り上げていきます。
なので、自分のQOL(人生の質)を向上させるために、自分なりに合理的な習慣を身につけ、私たちは生きていると思います。
自己啓発が好きな方や超体育会系の人は、自分自身に厳しく追い込むことを美学としているかもしれません。
あるいは品行方正こそが人生の美学と思っているかもしれません。
日々、自分に厳しく、品行方正な生活習慣をつければQOLが高くなるに違いないと信じていると思います。
おそらく、そう思っている人が多いのではないかと思います。
それは誰の理想の人生?
今、お話した考え方についてどう思いますか。
決して間違っているわけではありませんし、とても素晴らしい生き方だと思います。
ただ、今回は「違う考え方もあるよ」というお話をします。
品行方正が理想の人生って実は思い込みだと思ったことはありませんか。
品行方正が単なる思い込みで、実は間違っているという話ではないですよ。
そういう生き方を本気で良いと思っている人は、きっと、それがしあわせにつながると思うので、ぜひ続けて下さい。
皮肉でもなんでもなくて純粋にそう思っています。
ただ、たとえば、それが誰かに植え付けられた価値観で、本当のあなたはそれを望んでいなかったら、どうなのかなという視点もあると思うのです。
なにを言いたいのかというと「あなたは本当にあなたの望んだ生き方をしてる?」ということなのです。
もしかしたら、誰かに誘導された人生を歩んでいるだけで、自分の望む人生を歩んでいないかもしれませんよね。
もちろん最終的に「それでもいいや」と決断した自分が望んだことになりますが。
でも、望んでいないなら、違う選択をする権利もありますよね。
だってあなたの人生なのですから。
模範的な生き方。
本当はそんなものがあるのでしょうか。
あるかもしれませんが、何をもって模範的というかも、実は個人差がありますよね。
『ぐーたら生活』をしていても、それは悪ではありません。
『ぐーたら生活』をしていながらも、なんだかんだでそれが自分の生活、生き方にとって満足のいくものであれば、それはそれで、その人にとっては合理的な生きかたかもしれません。
『ぐーたら生活』というと聞こえは悪いですが、それが常にリラックスできている状態を指すのなら、ひたすら猪突猛進するよりも理想的な生き方かもしれませんよね。
休息もしっかり取れているので体力だって温存できているわけですし。
それで自分の心身が健康で人生を楽しめているなら、それこそ理想的な生きかたかもしれないですよね。
「日曜の真っ昼間になに、家でゴロゴロしてるのよ……」とか、実は大きなお世話だったりするのです。
もちろん、自分にとっても相手にとっても、ものすごくステキな事が起こりそうな情報を持っているのであれば、そういう言い方をしても良いですけどね。
楽しい情報を持っているなら、素直に「〇〇で××してるんだけど、一緒にどう?」という具合に声をかけてあげればいいのです。