しあわせの値段?
しあわせというのは感情の問題なので「いくら出せばしあわせを買えるんですか?」と言われても私にはお答えできません。
世の中のモノやサービスはお客さんに少しでもしあわせを感じて貰おうと頑張っています。
それが企業努力と呼ばれるものだと思います。
ただ、最終的にはそれは受け手の問題なので必ずしも金額の話ではないのです。
たとえば買い物依存症の人って、たくさん買い物をしますが、結局、楽しいのは買っている瞬間だけで、しあわせを買えたかと言うと、それは別問題なのですよね。
こういう話をすると「お金なんかいらない」と言っていると勘違いされそうですが、そういうことではありませんよ。
私はお金が大好きですし、ウェルカムです。
ただ「しあわせ=お金」とか、しあわせに条件を付け過ぎると、しあわせに気づきにくくなってしまうので、その例としてお金の話を出しました。
不幸を見てしあわせを見ず?
しあわせってたくさん落ちているのです。
でも、多くの人は「私は不幸だ……」と思っている気がします。
確かに、不幸というモノもあるのです。
むしろ多いかもしれません。
ただ、そっちばかり見ていると視野が狭くなってしまって不幸の密度が濃くなってしまうのです。
ごく稀にお世辞にもしあわせそうには見えない人もいます。
でも、それは私が勝手にそう思っているだけで本人が実際はどう思っているかなんて、聞いてみなければわかりません。
逆にしあわせそうに見えても、単にそのように演じているだけで本当はしあわせではないかもしれません。
あるいは一時的な躁状態なだけかもしれません。
不幸もしあわせも、どちらも身近に落ちているのです。
先ほど、しあわせに条件を付け過ぎると、しあわせに気づきにくくなってしまうと言いました。
「○○じゃなきゃ、幸せとは言えない」とルールでガチガチにしばられてしまうからです。
しあわせは人生のプロセスの中に落ちている
最初に、しあわせとお金の話をしました。
お仕事をするとお給料が貰えますよね。
お給料日は確かにしあわせですよね。
それは素直に両手をあげて喜んでいいのです。
だって懐がポカポカになったら幸せですものね。
では給料日前は不幸なのか。
ここも大事なのです。
給料日前も、給料日が近づくとワクワクして、しあわせな気持ちになりませんか。
「早く来い来い給料日~♪」なんて、お正月の歌の替え歌を口ずさみたくなったりして楽しい気分になってきますよね。
仕事が楽か大変かは別問題として、しあわせを感じることはできてしまうわけです。
実際にお給料を貰ったわけではないのに。
お仕事そのものの中にもしあわせを感じることができますよね。
イヤな仕事が片付いた時の解放感。
しあわせですよね。
自分の仕事が上司や同僚、あるいはお客さんに喜んでもらえたとき。
この上なく、しあわせを感じますよね。
仮に、喜ばれなくても、褒められなくても、定時まで頑張ったとします。
それだって、しあわせを感じられますよね。
自分が特に何かしたわけではなくても、ステキな仲間に囲まれていたら仕事が少しくらい大変でおもしろくなくてもしあわせを感じませんか。
「明日も、頑張ろう!」って思えますよね。
お昼休みになっただけでしあわせ気分になれるのも不思議でおもしろいですよね。
小さなことでもしあわせってたくさん落ちているのです。
さっきはお金の話をしました。
今は仕事そのものの話をしました。
仕事ってお金を貰う為にイヤイヤするもので、お給料が振り込まれて初めてしあわせなんだ……というわけではないのがわかっていただけましたでしょうか。
その一連のプロセスの中にもたくさんのしあわせが落ちているのです。