苦からの解放/ブッダに学ぶ「正命」~梵字画家と歩く仏教小径 その1

自分自身を理解してみると、わかっていると思っていた自分自身の大部分は実は、わかっていなかったということも納得。

【ミスターストイック・ブッダ】

友人のところには昔から、セラピスベイがいらっしゃる。
かの、おひげのマスターは、本当に心穏やかで温かく、何か私たちがお利口なふるまいや発見をするとすかさずほめてくれるという、言うなれば父のような、保育園の先生のようなお方だ。

人間だった時に王様だったからなのか、きめ細やかな目配りと繊細な配慮、そして圧倒的な重厚感がハンパない。

対してマスターブッダは、ストイックな人見知り。
たくさんの人に説法はするけど、特別なお友だちはいない。
エゴフック(=自分がしあわせになることを妨げるマインドの罠)は、苦行。
思考をめぐらし、地上と宇宙とを行ったり来たりしながら、この世の真理を解き明かすことに、ひとり没頭し続ける毎日を過ごしてきた。

多くの人に囲まれているからといって、それがイコール「人といることが好き」「人と親密になることが好き」ということではないんだなと、ブッダを見ていると思ったりする。

そんな彼を、多くの人の元へ真理を届ける説法の旅へと駆り立てたものはなんなのだろうか。

 

【正しい生活を送ること、正しい命を生きること】

八正道(はっしょうどう)のうちのひとつ「正命(しょうみょう)」は、正見にもとづいた正しい生活を送るということであり、それは同時に、正しい命を生きるという意味でもある。

相も変わらず私たちの前に立ちはだかる「正見」の壁。正見、それは絶対条件。正見、それは必須。

正見そのものが難しい場合には、正しい命を生きるという実践はけっこう難しい。なので、まずは文字通り、生活やふるまいを整えるところから始めることになる。正しい生活をするのだ。

朝、目を覚まし、太陽の光を浴び、食事をきちんととり、清潔を保ち、呼吸を深くしっかりとし、一秒一秒クリアリングとセンタリングを怠りなく行い、夜になったらちゃんとチャネルを切ってから、穏やかな気持ちで床に就く。
そして、人に対して暴言を吐いたり暴力をふるったりせず、起こった出来事を他人のせいにせず、自分の選択の結果であることを受け止めるよう心を調えていくこと。

「生活とふるまいを整えること! それが、心を調えること! これが基本!!!」byブッダ

ほんと、ストイック(笑)

 

【正しい命=真実の望みに従い生きること】

「自分の願ったこと、思い描いたことが具現化されてこの世界はできている」という話は、ご存知の方が多いのではないかと思います。
しかし、「神様に願ったのに、願ったことが具現化していな~い!」とか「正しい生活を送り続けているのに、こんなことが起こるなんておかしくない?」という相談も、同じくらいよく耳にします。それって、どうしてなのでしょう? ブッダ? 正しい生活を送っているのに、どうして?

「それは、正しい命を生きていないから」byブッダ

うそ。意味が分からない。もうちょっと詳しくプリーズ。

「正しい命を生きるとは、自分の真実の望みに従い生きること」byブッダ

うそ! 真実の望み、自覚してるはず!!! と、ブッダに言いたくなった皆さん。残念。私たちが自覚できている顕在意識は、どんなに多くても全体の3~7%。やばいくらい、少ないのです。

 

【自分会議のほとんどは、黙して語らずの人たち】

私たちったら、頭の中にいる人たち全員で会議をして議決をとっていると勘違いしていますが、実は100人参加のこの会議で、発言をしているのは3~7人だけ。

は? じゃあ他の人たち、何してるの? って、思いますね。

他の人たちは、「発言を迫られたら自分の過去の痛みが噴出しちゃう」とか「こんなこと言ったら、はしたない人間だと思われちゃうかもしれない」とか言って存在を消していたりするわけです。もしくは「出番がなかなかこないなぁあ~……」とか言って、呆けていたりするわけです。でも、自分の痛みにかかわる議題が持ち上がったとたん、いてもたってもいられなくなって、いきなり壇上に上がって大暴れしてしまったりするわけです。

そんな風に自分自身を理解してみると、わかっていると思っていた自分自身の大部分は実は、わかっていなかったということも納得。

 

——その2に続く——

 

《いしづかみほ さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/nojyamipo/?c=148564