愛し、裏切られ、憎み、許し……
17年に及ぶ一組の男女のさまよい
男と女の仲は一筋縄ではいかない。とは言うけれど。
私が高校生の頃読んだ荒井由美の「ルージュの伝言」にはものすごい美人が釣り合わない風情の男とつきあうことがある。それは身体の相性がいいからだ。と書かれてあって、「そうなのかぁ~」と目から鱗だった。
見た目の良さや内面の良さ以外に身体の良さもあるのだ、と小娘の私は驚いた。
そして、その頃から何十年もたち、私はその三つ以外に男と女の結びつきにもうひとつ理由があるのだと知った。
それは、前世での関係だ。
前世でのカルマを返すために恋人となる。夫婦となる。愛人となる。家族となる。
そのことを知った時は「そうなんだ!?」と驚愕した。
それは、世界の不思議を解き明かすような答えで、ものすごく納得した。
それ以来、「どうしてこんな人と?」と思うようなカップルも不可解ではない。
中国が大きく発展していく流れとともに
恋人同士の間でも大きく感情がうねる
本作は、17年に及ぶ一組の男女の愛し合い、憎みあい、許し、を描くラブ・ストーリーである。
20代のチャオはヤクザ者のビンとつきあっている。
ふたりは恋人同士だが、渡世社会の義理人情の固い絆でも結ばれている。
ある夜ビンは暴漢に襲われ、チャオはビンを助けるために手に入れていた拳銃を威嚇射撃する。
拳銃の不法所持でチャオは逮捕され、5年収監される。
一方ビンは1年で出所し、チャオの面会に来ることもなく、彼女の出所の日にも姿を現さない。
チャオは出所後ビンを訪ねるが、彼にはすでに新しい恋人がいて、チャオと会おうともしない。
チャオはうろたえるのだが……。
彼らの17年を中国の発展とともに描く。
監督は世界的にも評価の高いジャ・ジャンクー。
前作の「山河ノスタルジア」もこのレビューで紹介したが、彼は中国の生まれ育った山西省から逃れられないのだな、と改めて思った。
有名になった中国の監督がハリウッドに招かれたり、大きな予算で依頼された大作を撮ったりする中、監督はずっと中国から離れず山西省を舞台にした作品を撮り続けている。
自らのアイデンティティを問い続けている風だ。
しかし、それこそ、作家の真の姿であるような気がする。
くされ縁も前世の学びの続き
結局「人間とは何か?」なんだろうな
今作も淡々と日常の描写を重ね、チャオの繊細な心の動きを映像と歌で見せていく。
この描写は必要なのか? とか、チャオのとった行動で? と思う箇所もあるのだが、じーっと画面から目が離せない。サスペンスでも推理ものでもないのだが、ふたりの男女の関係は言わばミステリアスなサスペンスなのだ。
どうなるんだろう? と「答え」、チャオが出した「愛の答え」を知りたくなる。
くされ縁てけっこうある。離れられない。それは、他人の理解を越える。
でも、男女の仲ってそうだし、男女だけでなくてもそうだ。
最近読んだ「足立育朗と語る」(「波動の法則」で有名な方)という本で、足立さんが「結局どんな仕事も行くつくところは人間とは何か? なんですよね」と言っていて、妙に腑に落ちたのだけど。
本作も「人間とは何か?」の深い考察を試みた作品で、私が? と思った箇所も、そんなことも人間はするのだ、と監督に教えてもらったようなものだ。
思うに、果たして「人間とは何か?」と追求しながら仕事をしている人って多くはないように思う。
ジャ・ジャンクーは常に追及している。
チャオのとった行動はカルマを返すこと
「愛」は「愛」でしかないのだ
チャオが最終的にとった行動は……諦め? 許し? いや、「愛」そして「魂の磨き」なんだろうな、と思う。
また彼らは来世でも同じ関係を繰り返すのだろう。
最近ほんと人が一生で出来ることなんてほんのわずかしかないと思うようになった。
でも、今からでも精出して波動を上げて魂を磨いていこうと思う。
このレビューを書きながら本作のチャオとビンの心理を理解していった。
ふたりの「どうしようもなさ」それが、「人間」なんだろうな、と。
監督・脚本 ジャ・ジャンクー
出演 チャオ・タオ リャオ・ファン シュー・ジェン キャスパー・リャン
フォン・シャオガン ディアオ・イーナン チャオ・イーバイ ディン・ジャーリー
※135分
©2018 Xstream Pictures (Beijing) – MK Productions – ARTE France All rights reserved
9月6日(金)より、Bunkamuraル・シネマ、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー!
(※東京・9月6日(金)からロードショー/※関西・9月13日(金)からロードショー)
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