コロナショックから始まる変容のプロセス 「意識の周波数を合わせると、コロナを含め、私たちは皆、様々な存在物とコミュニケーションすることが出来ます」はせくらみゆきさんインタビュー 第1回目

はせくらさん

世界で活躍する画家であり、スピリチュアルな世界にも精通しているはせくらみゆきさんに、これまでの体験や新型コロナのこと、これから起こることなどについて、お話を伺いました。

 

【森で遊んでいると、自然界や植物から話しかけられた幼少期】

—— スピリチュアルな世界へはどう目覚めたのですか?
はせくらみゆきさん
そうですね。まず、スピリチュアルという定義ですが、私自身、スピリチュアルという言葉を使うときは、スピリチュアリティ(霊性)を抱いて生きる、という意味で使っています。

あらゆるすべての存在には霊性が宿っているので、そうした霊性を意識しつつ、全人格的陶冶を目指すことが、この世界に来た目的であると考えていました。

その意味で、私とは何者か、どこから来たのか、といった問いかけを、幼いころから漠然と抱きながら生きてきた感があります。

そこ問いかけを始めて意識したのは、保育園の年長さんのころでした。

私は床屋の娘だったのですが、お店にある大きな鏡に映っている自分の姿をじーっと見つめながら、「ああ、私は今回、この存在の中に入っているんだなぁ」と不思議な感じで自分の顔を見つめていたことを覚えています。

ただ、このことを親を含め、ほかの人に言うと、とても奇妙に思われるということが幼いなりにわかっていたので、誰にも言わず、ずっと自分の内側にいる本体―本当の自分と、表面の自分の心が、常にお話をする形で、さまざまな行動の意思決定をしていたのです。
なので、あまり目立ちはしないけれど、ちょっと変わった子どもだったようです。

—— その後の転機としてはどのようなご体験がありましたか?

はせくらさん
今から30年程前に、スピリチュアルな世界を経営者の立場でお伝えしていた、船井総合研究所の船井幸雄先生との出逢いがきっかけで、このような世界観を少しずつ発信するようになったのです。

なぜ出会うことになったのかというと、たまたま、3歳になる子どもの誕生日プレゼント用に、一冊の手作り絵本を作ったことが直接の契機となりました。その絵本を友人に貸したところ、たまたま船井先生のもとへと運ばれ、それをご覧になられた先生よりお電話がかかってきて、お会いしたいですとのお話をいただいたのです。

といっても当時は、子育て中心でしたので、船井先生のことを存じ上げず、失礼な対応をしてしまったのですが……、結局、当時住んでいた福岡でお会いすることとなり、「エゴからエヴァへ」のシリーズの表紙を担当することになりました。
同時に、息子の誕生日プレゼントとして描いた一冊の手作り絵本も、「光の海へ」という詩画集となり、刊行されました。1995年のことです。これが私のデビュー作となります。
以後、毎年、書籍とカレンダーを出させていただいて、現在に至っております。

はせくらさん
(「光の海へ」ビジネス社 はせくらみゆき 文・絵)

もともとアートは専門的に学んでいたのですが、特に、絵描きや物書きを職業にしようとは思ってはいなかったので(というか、それは一部の特別な人だけだと思っていたので)、正直、こんな人生の展開ってあるものかとびっくりしました。