御譲位と天皇と神と~国の象徴とそのエネルギー

改元は2018年5月1日の即位式のタイミングになるようです。

国の象徴とそのエネルギー

2017年12月1日に開催された皇室会議において、天皇陛下が再来年4月末に御譲位されることが正式に決定されました。
2019年5月からは新しい元号の元、新しい日本が始まります。

天皇陛下は国の象徴です。

日本がほかの国と違う点は、伝統的で由緒正しい皇室という素晴らしい存在や、国の象徴となる人物がいることによって、その人物そのものが国の運気を左右する点です。
たとえば、アメリカなど他の国であれば、その時期の大統領が国の運気を象徴します。

日本の場合は、次の天皇に替わるまでなので、その運気のスパンが長いのです。

国王が国の象徴という考え方のあった古代ヨーロッパでは、宗教的権威を持った国王はこの世のあらゆる秩序の支配者とされ、病んだり老いたり力がなくなってくると殺害されて、力のある新しい国王に代替わりするという事が行われていました。

日本では、古代より天皇のための玉体祭祀が行われていて、国の象徴たる天皇の心身が健やかなれば、国土も人民も平安であるという風に考えられました。
宮中などで行われる鎮魂祭(たまふり)や、東寺で行われる御七日御修法(ごしちにちみちほ)と呼ばれる大法会がそれにあたり、いずれも天皇陛下の御衣を使用して行われます。
古代より、身に着けているものに魂が宿ると考えられたからです。

 

平成の世の運気

さて、どのような運気であれ、その運気を持った天皇がお生まれになったという事は、ある意味、神によって与えられた試練でもあり、恵みでもあるということになると思います。
実際、神話において天照大神は天皇の先祖であり、この国を代表する神の血筋を引いているということになっているので、賛否両論あるかもしれませんが、天皇のお生まれや、その運気は、まさしく神の決定といってもおかしくはないのではないかと私は考えています。

平成の世は天変地異や不景気など、様々な試練が立て続けに起きました。
ホロスコープを拝見すると、大きな意味では国家や土地、小さな意味では家庭を表す場所に、突発性や分裂、トラブルの天体(天王星)をお持ちです。
また、その天体がほかの天体とグランドクロスと呼ばれる、一般的には困難や激しい変化、大きな改革を表す配置を描いています。
活動宮のアンギュラーハウスという、事象が大きく派手に起きる場所にそれらの天体が位置しているのも特徴的です。

偶然といわれたらそれまでかもしれませんが、実際、阪神淡路大震災や、東日本大震災など、大災害が起きた時には、天皇陛下のホロスコープ上の天王星が、外から巡ってきた破壊の天体によって大きく刺激を受けていました。
これらはまさに、神によって与えられた大きな試練だったと感じます。

さて、天王星はおよそ84年でホロスコープを一周します。
現在天皇陛下はまさにその周期に当てはまる年齢です。
つまり、お生まれになった時の天王星と同じ位置に、84年かけてホロスコープを一周した天王星が回帰してきているのです。

今回、御譲位されるということになったというのは、天皇家やそれを取り巻くこの国のシステムにとっては大きな改革であり、まさに国土や家庭の場所にある天王星の示す意味にぴったり通じています。

天皇陛下の天王星に対して、回帰してきた天王星はすでに何度か重なったり、そうかと思えば逆行したりと、ここのところ近い位置を行ったり来たりし続けていて、ちょうどそのあたりから、御譲位の話がマスコミなどで報道されるようになってきました。
天王星は2018年3月28日にぴったり重なり、それを最後に先に進んで行きます。

 

御譲位と天岩戸神話と

天皇陛下はこの国の祭祀王であり、宮中にて日々祭祀を行っていらっしゃるというのは有名な話です。
かなりの重労働であり、この国のことを思い、真摯にお勤めになっていらっしゃる姿には本当に感動させられます。

日本の祭祀王たる天皇陛下が御譲位される日にちが決まった前後、印象的な事件が立て続けに起きました。

ひとつは、相撲界の暴力事件です。
相撲というのは本来は神事であり、祭りの際に五穀豊穣などを祈願する奉納相撲が行われたり、地鎮祭の代わりに相撲取りが四股を踏むという事も行われていました。

そして、富岡八幡宮においては、姉の宮司を弟が刺殺するという凄惨な事件が起きました。
この神社は相撲との縁も深いことで知られています。
姉の宮司を弟が日本刀で滅多刺しというのはとてもショッキングでした。
私は思わず姉の天照大神と、弟の素戔嗚の神話を思い浮かべてしまいました。
暴れん坊で誰の言うことも聞かない無法者の素戔嗚が、姉の天照大神にたくさん悪さをし、天岩戸にお隠れになった神話です。

お隠れになるというのは、あの世にこもられるというのと同じ意味があります。
今回、お亡くなりになられた女性宮司の方の姿に重なって仕方ありません。