悲惨な歴史から生まれたユーモラスながら、どこか悲しさを感じさせる魔除け人形ムクリコクリ

夏休みなどに長崎方面に旅行する予定があるという方は、ちょっと壱岐島まで足を運んで、ムクリコクリ人形を手に入れてみませんか?

【日本が侵略されかけた元寇】

今から、740年ほど前に「元寇」という事件が起こりました。「日本史の授業で習った覚えがある」という方も多いかも知れません。元寇とは、「モンゴル帝国と高麗王国の連合軍が2度に渡って日本を侵略した」というものです。

元寇は、「1274年の文永の役」と、その「7年後の弘安の役」の2回を指しており、弘安の役は、当時「世界最大規模の艦隊が九州に押し寄せる」という大規模なものでした。これを日本は「神風」によって打ち破ったわけですが、台風で大艦隊のほとんど撃沈するという、ドラマティックすぎる展開のせいで、神風で日本大勝利というイメージが強く、実は大きな被害を受けた場所があることは、あまり知られていません。

 

【ひとつの島が滅亡しかけた】

その場所とは、「蒙古軍の進軍経路にあった対馬と壱岐」です。特に壱岐は「島民が二桁まで減るほどの被害を受けました」。男性は子供や赤ん坊まで惨殺され、女性は乱暴の上、盾として船にはり付けられたとされています。家屋敷は燃やされ、飼育されていた牛もほとんど姿を消しています。

現在でも壱岐は、長崎県に壱岐島として存在していますが、多くの人は元寇の後に他の地域から移り住んできた人たちです。文永の役でほぼ滅亡しかけた壱岐ですが、7年後の弘安の役でも、壊滅には至らないものの、戦場となり多くの被害を受けたのです。

このような歴史があるために、現在でも壱岐には元寇の時に生き残った人が隠れていたという「隠れ穴」や亡くなった人たちの冥福を祈るために作られた「千人塚」が多く残されています。そして、元寇の恐怖は「鬼」となって長らく語り継がれてきました。

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【むくりこくりの鬼】

壱岐の近辺では子供がわがままをいったりすると「むくりこくりの鬼が来るぞ」といって脅かす風習があります。なんとも不思議な響きであり、大人でも不気味さを感じる「むくりこくり」ですが、本来は「蒙古高句麗の鬼が来る」だったのです。前述したような残虐な行為はまさに鬼の所行ですので、そのような言い伝えが残ったとしても不思議ではありません。それが年を経てマイルドになり「むくりこくり」と変わっていったのです。余談ですが、残酷で無慈悲な出来事を「むごい」といいますが、この言葉も「蒙古襲来が語源」といわれています。

このように、大きな被害と人の心に長年消えないだけの疵痕を残した元寇ですが、そんな悲しい思い出を、昇華しようとして生まれたのが「ムクリコクリ人形」です。戦後に「郷土玩具」として考案されました。人形といっても、「木の棒に縄が巻き付けられただけ」という、とてもシンプルなものであり、蒙古兵と高句麗兵を象ったといわれても、どちらがどちらなのかさっぱりわからないものとなっています。

 

【鬼から産まれた魔除け人形】

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(画像提供・ウィキペディアより)

 

こちらはさすがにシンプルすぎたのか、郷土玩具として現在は製作されていませんが、現在は壱岐市にある「月讀神社で「魔除けのこけし」として授与されています。この神社は創建が不明の古社であり、名前通り月読命を祀りますが、不思議なことに他にも「月夜見命」「月弓命」を祀っています。また、元々は山の神だったということなので、独特の地元の神様が本来は祀られていた場所なのでしょう。

こちらは同じムクリコクリ人形ですが、自然木の先端を削って二本の角のようにし、眉毛と鼻を彫り込み、赤い口と牙、ぎょろっとした目が書き込まれたもので、より鬼らしさがでています。といっても、怖いというよりも、「スタジオジブリの作品に出てきそうな愛らしさ」もあります。

神社の説明によると、元寇のような災いが再び起こらないように、ムクリコクリを魔除けこけしにしたものであり、「玄関や神棚に飾って魔除けにすることが推奨」されています。なぜ、魔除け人形ではなく、あえて「こけし」という言葉を使ったのかは定かではありませんが、残虐な行為を働いた鬼を取り込んで、魔除けにするというのは、「怨念を引きずらないで、昇華させる」素敵な考えといえるでしょう。

夏休みなどに長崎方面に旅行する予定があるという方は、ちょっと壱岐島まで足を運んで、ムクリコクリ人形を手に入れてみませんか?

 

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