朝の混乱したラッシュ時に整列する通勤風景、敗戦したにも関わらず観客席を掃除して帰ったワールドカップの日本人サポーターなど、SNSの発達も手伝って日本人の「礼儀正しさ」は世界でも注目される様になりました。
さて、今回は礼節を重んじるという日本人としての観点を尊重しつつ、イタリアに住む様になって私自身が発見した礼節を重んじる感覚に似て非なるものについてお話ししたいと思います。
「COME VUOI」の真意とは…
イタリアに移り住んで最初の1、2年、はじめて友人の家のにパーティに呼ばれるといった状況で、「普通は、こういう場合はどうするものなのか?」と近所に住むイタリア人の親しい友達によく聞きにいったものでした。
そこで常に彼らから帰ってくる答えは、「COME VUOI」(コメブォイ)”あなたの好きな様に”正直、この答えには常に困りました。
いざパーティにいっても場の空気を読みあうという感覚が存在せず、「自分自身がどう感じているか自分がどうしたいか」に向き合わざるを得ない状況になっていきます。
人間関係の中で安全に過ごすための安全装置がなくなった様なこの状態は、私にとっては、補助輪付きの三輪車から二輪自転車に乗り換える練習をしている様な感覚でした。
自転車に乗れた瞬間。
最初は、ぎこちなく、なんだか少しフラフラと不安定な状態であっても、乗りこなせる様になってくるとどんどん自由度が増し、自分の世界が広がった様な感覚を味わった体験をこどもの頃にした人を覚えている人は少なくないでしょう。
この感覚は大人になってから味わえるとしたらどうでしょう?
日本人に馴染みやすい礼節を重んじる感覚がいつの間にか「間違いのない様に」という失敗への恐れの感覚に変わってしまっていると
・「個性」が薄くなる
・感情、欲求、好奇心、創造性、関心、意思が無意識
に抑えこまれるという状態になります。
残念ながら、小さなこどもが「礼儀正しさ」の本質を本当の意味でつかみながら身に付けられるケースは稀です。
多くの場合、「間違わない様に」と空気を読む能力ばかりが発達していくことになります。
バリエーションのある価値観をもつ複数の大人たちとじっくりと探求しあい、礼儀を身につけているこどもがいるとしたら、それはとてもラッキーなケースだといえるでしょう。
そこで、世界に誇れるほどの礼儀正しさを身につけた美しい日本人にこそ、時にはその感覚が「間違わない様に」にすり替わっていないかを発見できるはずです。
全体の空気を読むことに使っている全神経を少しだけゆるめ自分に向けたら、後は「COME VUOI!」(コメブォイ!)あなたの好きな様に……。
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