ポタリングでどこまでいける? 熊野街道6 堺の町を迷いつつ石津神社へ。Part.1

●新社殿が美しい、方違神社からスタート。

前回の熊野街道ポタリングは、大和川を渡り方違神社をお参りしてけやき通りにたどり着いたところで終わった。
次は、そのまま道なりに行こうと思っていた。

2019年に世界文化遺産の登録をめざしている百舌鳥・古市古墳群のひとつ仁徳天皇陵を目指す予定だった。

仁徳天皇陵の東を走り、南側になる正面をまわって阪堺線の御陵前駅方面に向かいつつ南下して石津神社にたどり着くコースが自然な流れのように思えたからだ。
でも、別の道を試したくなった。

熊野詣によって多くの人が行き来した古い道筋の感じがしにくく、別にも道がある気がしたからだ。
仁徳天皇陵の西を走り、南宗寺辺りに出るコースを紹介する地図がある。
このコースだとうまく堺の観光地を周れる。

別の地図の熊野街道は、御陵前辺りで突然現れそこに至る道筋がなかった。
堺に入ると熊野街道の道標とはなかなか出会えない。

実際、その道筋はわからなくなっているようだ。
堺には、紀州街道や竹内街道、長尾街道などの古道もあり、とくに紀州街道の道標はしっかり道筋をとらえるように連なっている。
熊野街道の道標は、大阪市内では行く先々で見つけられたのに堺ではまだ見つからない。

道は、不思議。

時代を経て整備され消えてしまう道もあるが、しっかりと残って行く道がある。
熊野街道を探しながら自転車を走らせていると古くから残る道はなんとなく力が感じられる。
他の道とは違う土地に根付いた深いパワー、周囲を巻き込んで情緒や歴史や文化が積み重なっている雰囲気がある。
その道筋が細い、太いに関わらず。
堺に入ってからそんな道の感じを見つけられずにいた。

そのため、何度かポタリングをしながらいろんな人に聞きながら、自分なりにこの流れが熊野街道と思える道筋を探した。
今回は、前回にお参りした時は工事中だった方違神社の新社殿が完成したと教えていただいたので、ここからスタートする。
行く先を良い方角に方違いしていただけますように。

 

●長尾街道を東へ、そして山之口筋へ。

方違神社から東に向かうことにした。
前回訪れた境王子が、実はもっと東、現在の神明町辺りとも考えられているらしいとの情報があったのだ。
1丁目辺り全体が神明神社だったそうで、その付近に境王子もあったのでは? という説。
現在、ここに神明神社はなく、菅原神社に合祀されたそうだ。
栄橋町に神明神社があるが、同じ神社なのかどうかはわからない。

方違神社から東に行こうとすると南海高野線を越えなければならない。
自然に進むと線路の下を通る地下道に着いた。
階段横に細い自転車用の通路があるのでなんとか通れた。

そのまま進むと長尾街道の道標にたどり着く。
長尾街道は、堺の花田口を起点として奈良の長尾神社に至る古道らしい。
そのまま進むと、高速道路の下に出る。
少し南に行くと熊野小学校がある。
熊野と書いて「ゆや」と読む。

この付近に熊野神社があったそうで、神明神社と同じ菅原神社に合祀されているそうだ。
熊野小学校は母校で、在校中に先生が熊野の由来を話してくださった記憶がある。
内容はすごく残念なことに忘れてしまった。

「ゆや」は熊野の音読みらしいが、この辺りに湯屋が多かった、または菅原神社でお風呂の炊き出しが行われたことに由来するともいう。他にも能に熊野の曲があり、熊野と書いてゆやと読む女性が登場するとか。
ゆうやがゆやになった、いやと読むとか、いろんな説がある。
熊野権現の熊野は、ゆやと読まれることも多いようだ。

今回は、東へ進みつつ北へもどり、神明町辺りへ。
ここから南へ進んでも東へ向かってもお寺が多く、神明町へと北西に進むと西本願寺堺別院や妙国寺など大きなお寺が多い。

神明神社跡と言われる、境王子があったとの説もある場所を探していると、何も見つけられなかったが、山之口筋にたどり着いた。
この道は、まっすぐ進むと山之口商店街を通り、いろんな地図で堺での熊野街道のひとつの起点となっている山之口橋につながっている。
この山之口橋は阪堺線の御陵前駅辺りにあって、ずっと東へ行くと仁徳天皇陵がある。
山之口筋が、熊野街道だったとのひとつの仮説を立てて、走ることにする。


道を探す人を迎え見送るような親鸞聖人像が見える本願寺堺別院。


肉桂餅で有名な八百源さん。

 

——Part.2へ続く——

 

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(トップ画像/方違神社。伊勢神宮から譲り受けたご用材をご使用。方違神社の美しい新社殿。)