先日、娘が通う幼児園のスケート実習がありました。
朝、6時半には近所の幼児園を出発して都心のスケート場を目指します。
バスを使っていくので、交通事情を考えて早く出発するのでしょう。
通常通り、お弁当を持参するので親はかなりの早起きとなります。
そんな朝に、数年ぶりのおふとんへの粗相が見つかりました。
娘のパジャマを確認すると、湿っています。
あれ? と思いながら、とりあえず大きなタオルを布団に敷き、静かに彼女を起こし、身体を温かいタオルで拭き、新しいパジャマに着替えさせて、粗相した場所ではないところで、眠ってもらいました。
忙しい朝になるかと思いきや、穏やかな朝になりました。
ここ数年、娘に怒るとか叱るとか、そういった機会が減りました。
叱る必要を感じないわけです。
言って聞かせるのが「躾」と無理に自分を鼓舞することもありません。
娘の粗相をことさら大袈裟にして、彼女に罪悪感を味わせるような仕打ちもしません。
ところで、
僕は自責上手です。
自分への詰問上手とも言えるでしょうか。
ですから、一緒に仕事をしている妻の寛子に単なる指摘やフィードバックをもらっても、
「冗談じゃないよぉ! 僕を責めないで!!」と怒り出す勢いでした。
寛子にとっては単なる事実の共有だったり、改善点の提示だったりすることが、僕には「否定された」「攻撃された」「バカにされた」と受け取ってしまうのです。
絡みづらい相方ですね……(笑)。
それが、いつの間にか「質問上手、問いかけ上手」になり、
「では、どうしたら?」
という、問題ではなく、可能性を見出す志向に、ここ数年の間になりつつあります。
そのような中、娘の何か粗相や不始末、誤魔化しなどに叱る意味はあまりないと感じるようになりました。
彼女が静かに自分をかえりみる機会を演出してあげることが大切なのだろうと思っています。
こちらから、罪悪感・挫折感・羞恥心をすり込まなくても、自分でゆっくりと、自分に必要な「何か」を見出すのですから。
それをこちらが信頼することですね。
「親は見守るだけ」とはよく言ったものです。
「きちんと言い聞かせなくては調子にのってしまうのでは?」
という疑いがなくもないのですが、それは僕がどのような姿勢で日々を過ごしているかに比例して発生する気持ちです。
つまり自分がどう生きているかが、娘には言葉ではないもので伝わっているわけです。
親の姿勢と静けさの演出で、子どもは自分に必要なものを主体的に身につけていくということでしょうか。
僕自身、「自問上手・問いかけ上手」になって、とても穏やかな日々を過ごしています。
子どもが与えてくれる恩恵です。
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