あなたにはありますか?
「このヤロー!」「バカヤロー!」って叫びたい瞬間。
そんな言葉、ネガティブなものだから忌み嫌いますか?
ポジティブな言葉を紡いだほうが人生が好転するでしょうか。
失礼で意味不明な態度、常識はずれな行為、不当な扱い、見下し、差別、うっすらマウンティング、なぶり、揶揄い、蔑視、などを受けてしまった時……あなたはどう感じますか?
「わたしも悪かったのよ。」
「わたしが変われば、相手も変わるんだし……。」
「相手を悪く思うことは良くないことだから。」
「どんなに嫌な人でも良いところを見つけなくっちゃ。」
「わたしはそのようなものとは無関係です。」
「自分の中でゆっくりと消化しなくっちゃ。」
セラピストを長年していると、クライアントの「行き場のない怒り」に出合います。
本人も自覚しないくらい心の奥底に閉じ込めてしまっていることが多いですね。
ですが、何かの言葉に反応的になり、落ち込んだり、イライラしたり、威圧的で好戦的になったりする氣配をまとってしまっていることがあります。
「行き場のない怒り」に思いを馳せてみませんか?
幼い頃に、怒ったり、泣け叫んだり、愚図ることを親に抑えつけられた可能性があります。
怒っていると、
「怒っても無駄だよ。」「みっともない!」「我慢しなさい!」
泣き叫んでいれば、
「泣かないの!」「泣くくらいなら止めておけば良かったのに」
と言われたかもしれません。
愚図っていると、放置されたり、迷惑がられたり、力で抑圧されたりして、怒ったり、泣き叫んだり、愚図ることは悪いことという思い込みが幼少期にできあがっていきます。
親が直接、そう注意しなくても、子どもは親の顔色をうかがいます。
そして、怒ったり、泣き叫んだり、愚図ることは悪いことで迷惑がかかることだと理解します。
その後、子どもたちは自らすすんで「良い子」になろうとするわけです。
そのうち、世間にある「感情的になるな!」「感情的になることは格好悪い」「大人なんだから冷静になれ!」「集団行動を乱すような真似は慎め」などの共通の禁止令を自分にもあてはめます。
そうして、「良い子」から「いい人」への階段を上るわけですね。
しかし、「行き場のない怒り」はそれで解決することもなく、休火山のようにふつふつとしているわけです。
そして、元々、わたしたちが誰もが持つ「暴力性」と結びつきます。
良い子でいるために、いい人でいるために、その暴力性を抑圧してしまうのかもしれません。
カウンセリングを通して、この「暴力性」を軽視している人、まるで見ようとしないケースを感じることが多いです。
自分の中にある「このヤロー」「バカヤロー」という思いを口に出せるうちに出して、昇華していくことが、ぶすぶすとくすぶる怒り、粘着性のある怒り、好戦的な降るまいなどを持ち続けないコツです。
いい人でいようとして、我慢し、遠慮をして自分の本意とはほど遠い言動をとることは、ある意味、自分を虐げていることにならないでしょうか。
とても口にできないような罵詈雑言を口にすることを自分に許してあげることは、どんな自分も受け入れる優しさにはつながるかもしれません。
「あるべき自分」で「本当の自分」を抑えつけることは、自己虐待とも言えるかもしれません。
叫んでみませんか?
「このヤロー!」「バカヤロー!」
《水本潤治・寛子 さんの記事一覧はコチラ》
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