隣の芝生はやっぱり青い? ~ “幸せな人生”に向かう上手な《比べかた》~

幸せ

そして、人と比べてマイナス方向に意識を向けるということは、「自分がその人のようになれない」と最初から決めつけているようなものなんです。

これもまた、もったいない話なのです。
だって、“できない”とか“なれない”保障はどこにもないのですもの。
この世では、私たちの想いが現実化していきます。
ということは、できないと思ったらできなくなってしまうのです。
ね、もったいないでしょう?

ですから、もしも、自分以外の誰かと比較するのであれば、まず、こんなふうにしてみましょうか。(^-^)
「自分の人生の目標とするような想いでその人を見てみること。」

「いいな、あの人はあんなにすごいのに、私は……」
ではなくて、
「あの人はすごいな、私もあんなふうになろう……!(あのような生き方を目指そう!)」
です。(^-^)b

 

《人と比べる》ではなくて……。

そして次に、比べるものは……、
《自分》
だということを思い出しましょうか。

「えっ? 自分と自分を比べるの?」

と思われますよねぇ。
そうなんです。
もし比べるなら……、

「今の自分」と、「過去の自分」を比べてみましょうか。

私たちは毎日、この一瞬一瞬でさまざまなことを経験しながら前進しています。
例え、昼寝をしていても、なんです。(笑)

今、昼寝をしている自分と、
今、仕事をしている自分と、

脳で考えればつい、良い悪いという基準で評価してしまいそうになりますけれども、スピリチュアルな視点で見ると、どちらも私たちの人生にとって、この魂の学びということでは、さまざまな意味で《前進》なのです。

楽しかったり、嬉しかったり、苦しかったり、悲しかったり、その想いの一つひとつが、自分の心を大きく動かしたとすればその大きさに比例して、私たちの魂は大きく成長しています。

昼寝をしていても、これがそのとき自分を癒すために重要な意味を持つのかもしれませんし、そこで昼寝をして身体を休ませるのが“本来のわたし”の求める声なのかもしれません。また、しんどいと思いながら仕事をしている自分のストレスは、その後の自分によくない影響を与えるかもしれません。

このように例えば、自分に対して“愛があるか”(大切にしているか)、そして、意識を外に向ければ人に対して“愛があるか”(思いやりの心を持っているか)、このような想いをどれだけ持つことができていたか、比べるなら、、《ここ》なんです。

どちらも“自分の想い”をどうするかであって、人の人生がどう、ではないんです。
だから、比べるなら、《自分》と、なんですね。

 

《比べる》ときにすることは……?

そして比べるときには、“良いところを見る目”で比べます。

良くないところを探すことは、ちょっとだけやめてみましょうか。(^_^)

もし、他人ではなく、今の自分と以前の自分とを比べて良いところが見えてきたら、そのときにはぜひ自分を褒めてあげてくださいね。

それはもう、良いということは、それだけがんばったということですので、褒めなくちゃ、ですよねぇ。

これは、決して自分を甘やかしているわけではないんです。

私たちは、自分以外の誰かと比べるとき、大抵自分に厳しい目を向けます。
私たちの中のもう一人の“わたし”は、一杯褒めて欲しいって思っているのですけれども、なかなかそのようにはできないものなのですね。
だから、意識して褒めてあげるようにしましょうか。

自分の人生の主役は“自分”なのですね。
だから、そんな自分ががんばっているところを目いっぱい褒めてあげたいのです。

比べるなら自分と、なんですねぇ。

今、自分がどう生きたら“自分が幸せを感じられる未来”に近づくのだろう、そう考えるとき、“人と比べる”という選択肢は、先に挙げた《お相手を目標としてとらえる》こと以外に良い意味を持たないのです。

隣の芝生は青く見えるものですけれどねぇ。
あの人の人生はあの人のもの、そして、私にしかわからない幸せが必ずある。
それも、そう思った瞬間に、それが何かは、すでに私たちの中に準備されています。

林真弓子

もう、人と比べる必要はないですね。
“わたしの魂”ですもん。

今日は、“比べる”ということについてお話ししてみました。
皆さまのもとに素晴らしく佳きことが、たくさん訪れますように。

今日も最後までお読みくださり、本当にありがとうございます。
心から、感謝いたします。
では、また……!

 

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