一宮千桃のスピリチュアル☆シネマレビューPART.50 「大いなる沈黙へ―グランド・シャルトルーズ修道院」

伝説の修道院の静謐と静寂の内部
その「美しさ」にとまどうドキュメンタリー

教会が好きだ。前世のひとつでキリスト教の信者だったことがあるみたいで、キリスト教には深い興味と関心がある。電車の中から教会の十字架を見るとハッとする。そしてそこへ行きたいといつも思う。そこへ行って静かに座っていたいと思うのだ。
そんなふうなので、海外旅行に行ってもよく教会に行く。
フランスのルルドでは、大聖堂前に集まってくる体の不自由な人や病気の人の持つろうそくの長い長い光の列に涙がとめどなく溢れた。
香港のランタオ島のトラピスト修道院へ行ったのはそこで売っているクッキーと牛乳が目当てだったけど、ムイオーから一人山を越えて汗だくになってたどり着いた修道院はとてもさりげなかった。ミサに参加した時に年老いた修道士が私の方をジロリと見た。
その後中を見せて欲しいとお願いすると、女子禁制なので駄目だと言われた。地元のおばちゃんたちが神父さま?にお金を渡していた。
畑にはたくさんの野菜が作られていた。何棟も奥に建物があった。
不思議なところ・・・。
私はすぐ傍の休憩所のような小さな公園のようなところでしばし立って、彼らはどんな生活を送っているのだろう? と考えたのだった。

この映画のことを知った時、トラピスト修道院のことを思い出した。そして、観たい! と強く思った。169分という長尺。しかも音楽、照明、ナレーション一切なしの、監督一人がカメラを持ち込み、院で共同生活をしての撮影。
それはそれは良く眠れる映画でした(笑)。
でも、これは寝てもいいのだと思った。
映画はただグランド・シャルトルーズという厳しい戒律で知られる伝説的な男子修道院の淡々とした日常を淡々と追ったものだ。しかし、そこで映された清貧や静謐や沈黙や孤独や哲学や道徳や瞑想や悦びや自然や繰り返しは、「美しい」以外のものではない。ただ「美しい」。だが、「美しい」ものは時に退屈だ。

「何か」を見る人に突きつけてくる
自分の内奥を見つめることを示唆される映画

私が本作で一番心打たれたのは、ラスト近くに登場する盲目の老修道士の言葉だ。彼は自分が盲目になったことを喜んでいる、と言う。それは神の贈り物で、盲目になることで私の魂はより成長できる。何が起ころうと、それは私たちの幸せのため。私は神の采配に感謝する。
今の人々は生きる目的を失っているようだ。
私は日々幸せだ。なぜなら目的があるからだ。神に近づき、神とともに生きるという。
死はなにも怖いことではない。なにも心配することはないんだ。

やはり、言葉に引きずられる。私はどうしても言葉に感動してしまう。
神とともに生きる、私はそれが幸せであることがよく分かる。私も信条はいつもそうありたいと思っている。
そして、さて、私は幸せだろうか? 私の人生の目的は?
私は幸せだ。でも、足るを知らないでいる。もっともっとと思っている。
人生の目的は? 分かっている・・・はずだ。でも、迷っている。

老修道士の言葉は「何か」を突きつけてくる。「何か」を達成しようと思っている人には。また、「迷い」の中にいる人には。このドキュメンタリーは自分の内奥を見つめることができる鏡のような映画である。このような映画が、2005年の公開から9年たって公開されるという、日本という国に住んでいて、ほんとうに幸せである。

■監督・脚本・撮影・編集 フィリップ・グレーニン
■169分

■8月30日(土)から大阪・第七芸術劇場にてロードショー
■東京・岩波ホールにて上映中