中村うさぎさんエッセイ 「死から生への逆さま巡礼」 PART.2 臨死体験

我ながら信じられない不死鳥のような生命力

前回も書いたとおり、私は去年の8月に原因不明の病気で入院して、3回も死にかけてしまった。

一度目は心肺停止と除脳硬直(いわゆる脳死状態)という、医学的にはほぼ完全に「死」に近い状態。二度目と三度目は、心肺停止にまでは至らなかったものの、呼吸停止という「死」の一歩手前の状態。一度目の除脳硬直の際には、担当医もすっかり諦めて「この状態から意識が戻る可能性はきわめて低いし、もし戻ったとしても脳に重篤な後遺症が残るだろう」と家族に宣言したそうだ。要するに「死なないとしても植物人間か重度の障害者になるから覚悟しろ」ということである。

ところが私は医師の予想に反して奇跡的に意識を取り戻し、重篤な障害などまったくないままにケロリと回復して、こうしてパソコンで原稿が書けるくらいに元気になってしまった。その後も呼吸停止を二度繰り返したものの、そのたびに不死鳥のごとく(笑)蘇り、またもやケロリと息を吹き返して元気いっぱい、という我ながら信じられないほどの生命力を見せつけてしまったのである。いったい何者なんだ、私は。


(写真)中村うさぎさんブログ「うさぎ的日常日記」
2013年10月14日「エルメスバーキンの中身。」より



(写真)中村うさぎさんブログ「うさぎ的日常日記」
2014年7月2日「毎週水曜日はMXTV「5時に夢中!」生放送レギュラー出演日です。」より

魂はあるのかないのか? 臨死体験で感じた「無」とは。

だが、そのおかげで、いわゆる「臨死」という世にも貴重な体験ができたことには感謝している。

自分が死んだ瞬間のことをいまだに覚えているのだが、それまで全身を支配していた激しい痛みと痙攣が嘘のようにフッと消失し、テレビのモニターを切るようにプツンと目の前が真っ暗になって、そのまま世界がブラックアウトしてしまった。

それは恐ろしい体験でも荘厳な瞬間でもなく、きわめてあっさりとした機械的なもので、何の感慨も私に呼び起こさなかった。この世とお別れする辛さなどという感傷はもとより、肉体的な苦痛も喜怒哀楽といった感情も自我という意識も一瞬のうちに消え失せて、ただただ真っ暗な闇の中にスゥーッと溶けていったのだ。

そこには「魂」という存在さえなかった。「魂」というのは、いくばくかでも「自我」を保持しているものだと思われるのだが、脳の電気系統のスイッチが切れた瞬間、「私」という意識も吹っ飛んで、私は何者でもなくなってしまったわけである。

以来、私は「霊魂」の存在を信じていない。死んだら、私は「私」という意識さえ失うのだ。だからといって、もちろん「より高次な存在」となるわけでもなく、「私」から「我々」へといった集合無意識に繋がるわけでもなく、ただただ消失するだけだ。この世にいなくなった人間は、あの世にも存在しなくなる。完全なる「無」と化すのだ。

それは私にとって、これ以上ないほどの救済であった。私は「私」であるがゆえに悩み苦しみ、苦い後悔や自己嫌悪を味わい、ずるずると重い身体を引きずって生きているのだ。私が「私」でなくなったら、その一切の懊悩から解放されるわけである。むろん、その代わり、すべての喜びや幸福感をも失うわけだが。

私が「私」でなくなることこそが、私にとっては究極の「救済」なのである。

小説家・エッセイスト 中村うさぎ

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