ココロセラピストが考える!時代の変化と共に変わるコミュニケーション」とは?

人生を決める?コミュニケーションの重要性

僕たちが普段感じているストレスの殆どは、人間関係だと言い切ってしまっても良いくらいだと思います。
僕たち人間は、人と関わることで生きていられる動物だというのにも関わらず、不思議と人と関わると疲れてしまうのです。なんだか無茶苦茶な感じもしますがそれが現実なのです。

最近ではコミュニケーション能力がとても重要視されて来るようになりました。とても良い事だと思います。一昔前なら男尊女卑もあったので、男性ならムスっとしていても、奥さんが察して食事が出てきたりしたかもしれませんが、そんな時代はもはや過去の遺物です。きちんと自分の気持ちを伝えられなければ、仏頂面をしたコミュニケーション能力の低い人だと思われてしまいます。そしてあっと言う間に、見捨てられてしまう事でしょう。

女性は女性でデートの時に、男性にリードして欲しいと思って自分の意見を言わずデートコースを「何処でも良いよ……」と言っておきながら、後で「え?何?ファミレス?」と文句を言うのも筋違いです。黙って耐えていても面白くありませんし、後で文句を言われても男性も困ってしまいます。いつもカリカリした人だと思われると、それこそ後々悪評が立ってしまってモテなくなってしまうかもしれません。

社会人だと、これがまた大事な話なのですが、若手社員が定時帰宅しようとしたり、有給休暇を取ろうとしたりした時に「なに勝手に帰ろうとしているんだよ。仕事っていうのは納得いくまで自発的に残ってやって行くのが当たり前なんだよ!向上心の無いヤツめ!」とか「有給?権利権利ってな!俺たちの時代は、そんな権利初めから無いものだと思って親の死に目にも立ち会えなくても良いくらいの覚悟で働いていたんだ!何が授業参観だ、ふざけるな!」なんて言おうものなら大問題になってしまいます。もっっとも、雇用形態(労働基準法に乗っ取った)に問題があるかどうかを、きちんとお互いに理解しているかどうかが大事ですが……。

何が大問題なのかというと、価値観は時代によって変わるということをわかっていない事が問題なのです。僕たちは協調性を大切にするように教育されている半面、個性を大事にするように、そしてQOL(生活の質)を高めるようにという教育を受けています。

更に複雑化する社会を生き抜くには?

今までは、「右に倣えの美学」が存在していたように感じます。みんな一緒。みんな中産階級。出る杭は打たれる。一部の支配者階級以外は個性なんて不要とでも言わんばかりの時代だった気もします。統率と支配こそが国家を繁栄させるための必須条件だとか、そういう時代は間違いなく終わったのです。

時代が進んで、それこそ「心の時代」になって来ると、心満たされる生き方、すなわちQOL(生活の質)を追究するようになるので当然の如く「みんな同じ」という扱い方では通用しなくなってきているのです。

経済格差もそうですし、ジェンダーの問題も、子供の教育方針も、社会人の在り方も、老後の過ごし方も、何もかもが複雑になってきました。だから、今の時代を生き抜くためには、より高度なコミュニケーション能力が問われるのです。

コミュニケーション能力と言うと、「モテる方法」とか「より売り上げを上げるセールス方法」とか、そう言った事についつい目が言ってしまいがちですが、残念ながらそういうテクニック的なモノだけでは、今の複雑な時代は生き残れません。

「複雑」という言葉を使いましたが、実は根源はとてもシンプルなのです。「支配と服従」「規律と統率」という前時代的な価値観をひとまず右に置いておいて、「自分を労わり、相手を想い遣る」というマインドを持っていれば良いのです。「みんな(大多数)が同じ」ではなく「みんな違って、みんな良い」という事を理解すれば良いのです。
みんな違った考えを持っているけれど、お互いが幸せになれるためにするためにはどうすれば良いのか。
これを個々が意識すれば案外対人ストレスも減るのではないかと思う今日この頃です。