スピリチュアリズム PART.2~霊との交流を認める~

スピリチュアリズムの法則のなかで特に面白いのが、この「霊と交流するのは当たり前」というもの。

後の回で出てくる「波長の法則」により、どの霊と交流するのかは人によってそれぞれ違うけれど「人間の住むこの世にありながら霊界にいる霊とコミュニケーションをとりつつ生きる」。
この事実を知ってからは霊との交流が当たり前の毎日となりました。
スピリチュアリズムを学ぶ以前の私は、霊感があるものの自分の人生を自分で操縦することもせず無知に任せて苦しみのなかで生きていました。
そんな時に私が見たり交流する霊は、私の状態に相応しい嫌がらせばかりする霊でした。

実際は、その時もたくさんの愛情溢れる霊が見守っていてくれてはいたのですが、私には気づけませんでした。
スピリチュアリズムを知り、学び、生き方が変わってから私が見たり交わる霊は、自分の魂の成長を導いてくれる「指導霊」や、霊界にいながらいつも愛を送ってくれている亡き家族や友人、知人の霊たちへと変わったのです。

愛情溢れる霊は、いつでも私たちを助けたいと思っていますし、実際に協力してくれています。
しかしここでいう助けや協力は、人間が考えるような単純なものとは違い、「ただ見守るだけの愛」や、「痛みから学ぶ私たちを遠くから応援する愛」だったりするのです。

自分が補助輪なしで自転車に乗ろうとしている子供で、指導霊が母親だと考えてください。
補助輪なしの自転車に乗るためには、転んでひざを擦りむきながら何度も練習を重ねる必要があります。

母親は転ぶ子供を見て、心を痛めながらも見守るしかありません。
「転んだら痛いでしょ、お母さんが変わりに練習してあげる!」なんて助けてしまったら、いつまでも子供は補助輪つきの自転車にしか乗れません。

もし大きな穴があるときには、「危ない!そっちに行ったら大怪我するから避けなさい」と教えます。
もし子供が崖に向かって進んだならば、子供を抱きとめて安全な場所へと移動させます。
そして、何度も転びながら練習した結果、ようやく子供は自転車に乗れるようになります。

私たちは時々、指導霊の声を聞かずに、抱きしめられた腕を振りほどいて穴へ突進し、崖に落ちることもあるでしょう。
そんな時でも必ず霊界からの助けと愛は送られ続けます。
私たちを見守る霊達は、色々な方法を使い、私たちに話しかけています。

直感や、ふと目にした広告の文字や、TVから聞こえてきた言葉や、友人の口から伝えられるメッセージや、夢や、ありとあらゆる方法で私たちを導いてくれています。

私たちと共にたくさんの見えない存在が一緒にいて見守っていてくれること、助けていてくれること、愛してくれていることを信じてください。

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