朝目覚めると、涙が止まらなくなっている。
由布院のお宿で過ごしたあの一夜から、私の細胞は変わり始めていました。
過去の忘れていた大切な記憶のみが、どんどんと蘇ってくるのです。
そして、私はオーストラリアでの最後の思い出を思い出しました。
お父さんが話してくれたあの言葉。
「ユリ、本当のあなたになりなさい。あなたはそのままで魅力的だから。
大丈夫。私達は、ありのままのユリを心の底から愛している。永遠にね。」
この言葉を思い出した時、ポトポトと涙が溢れて、溢れて止まらなくなりました。
いつから? いつから、また私は本当の私ではなくなったのだろう。
いつの間にか、捩じりが生まれ私は私ではなくなっていました。
「お父さん、お母さん、モリー、シンバ、ごめんね。」
空に向かって話しかけました。
本当の私を心の底から愛してくれた家族がこの世界にいた
ことを忘れていた自分が、悲しくてたまらなかった、そんな朝が始まりました。
●あなたは自分のことを一番愛していますか?
オーストラリアでの暮らしが終わろうとしていました。
思えば、ここに来てから人生で初めて幸せな毎日というのを体感した気がします。
それはなぜかと言えば、家族は私がいけない事をした時は、心の奥底から叱ってくれましたが、毎日の暮らしはとにかく私のことを褒めてくれました。
どんな繊細なことまで、すべて褒めてくれていました。
5歳のモリーはいつも幸せそうに笑っていました。
彼女は小さな子どもなのに、まるで私のお姉さんのような眼差しをして、言葉をかけてくれることがありました。
「ユリ、私は毎日が満たされていて幸せなの。お父さんのこともお母さんのことも
愛しているし、何よりも私はわたしのことを一番愛しているの。ユリはどう??」
彼女にそう言われた時、言葉につまりました。
「私は自分の事を愛しているとは言えない」
という究極の答えに辿りついたからです。
下を向いて、答えを言い出せずにいた私をモリーは察してくれて、ギュッと抱きしめてくれました。
彼女の前世は私のお姉さんだったのかな?
5歳の女の子に抱きしめられて泣いてしまう高校生の私。
これが日本とオーストラリアの教育の違いだと、その時改めて感じたのです。
日本にいた時は、テストの点数が80点だと、もう少しで100点だったのにね! 惜しい! と言われていました。
だから、80点の点数ではいつも満たされなかったのです。
常に、100点、常に上の成績を目指しているようなプレッシャーがありました。
でも、オーストラリアで80点の成績をとった時、家族はとても褒めてくれました。
「ユリは天才なのか?? こんな最高に可愛くて頭が良い娘をもてて幸せだよ!」
そう初めて話された時はとても驚きました。
ここでは、いつもどんな私でも良いところを見つけて褒めてくれる。
だから、モリーは自分の事をあんなにも愛せて当たり前なのだ。
愛の世界にいるから、私の事も自分の事も他の人のことも地球のことも全て愛せているのです。
オーストラリアでの暮らしは夢のような暮らしでした。
私は、初めて本当の私と出逢うことができました。
心の底から安心して「私」を前面に出せる環境、そしてそれを決してジャッジせず、ただ愛を与えてくれる素敵な人たちがこの世界にいたこと。
私は、いつも自分が「何者」かにならないと愛されないと思っていたことに気が付きました。