ココロセラピストが考える!? 『モテたい人たち』とは?~全人類に相手にされたい?~

モテる

モテたい。
  

モテたい。そう思う人は多いと思います。異性にチヤホヤされたい、という意味だけではなくて、必ずしも性的な話ではなくても、とにかくチヤホヤされたいと思う人。

気持ちはわかります。モテたことがないので、実際にモテたらどうなるか残念ながら僕にはわかりません。

ただ、なんでもかんでもモテたいと思っている人って、一体を望んでいるんだろう。ふと、そんなことを思いました。

心理学的に、ということではなくて、あくまでも僕の考察ですので、それでも良いから興味があるという方だけ、お付き合いください。

  

モテると、どうなるのか?
  

ぶっちゃけ、モテると、どうなるのか。たとえば男性なら、バレンタインにチョコをたくさん貰えるとかでしょうか。男性でも女性でも異性をはべらせて歩いていると、ステータスと感じるのでしょうか。

ビジネス系の人だったら、ファンがお客さんになってくれて、お金をたくさん落としてくれるのかもしれませんね。

何もしなくても、ただ自分が存在しているだけで、崇拝されたり、尽くされたり、貢がれたり、感謝されたり、困ったときには……というか困ってなくても助けてくれちゃったりするのでしょうか。

「TATSUMIさんだって、モテれば、読者が増えて嬉しいでしょ?」と、言われれば、それもそうだなと思ってしまうと思います。だって、自分の主張を真剣に聞いてくれる人が増えたら嬉しいですからね。

……と、ここで自分の中で気づきがひとつ。僕の中でモテたいという願望があって、それを深堀していくと「自分の主張を真剣に聞いてくれる人が増えたら嬉しい!」という気持ちが出てきました。

さらに自分を深堀すると、いろいろな想いが浮かんできます。僕は公言していますが、孤独が苦手なんですね。人間は社会性の動物だから、それはそうだろうって自分では思っています。でも、そう思わない人も、たぶん多いんだろうな、とも思っています。

自分で言うのもなんですが、僕はマニアックで理屈っぽい部類の人間なので、僕の話を真剣に聞いてくれる人って実は、そんなに多くないんじゃないかと思っています。

自分でも、僕の話がどれも有益で中身が濃いとは思っていないので、多くなくて当然なんですけどね。

  

万人に好かれようとする必要はない。
  

改めて自分を深堀していくと、自分がどんどん浮き彫りになってきます。孤独が苦手。真剣に話を聞いて欲しい。でも、自分の話がそんなに素晴らしいものではないということもわかっている。

ただね、これは本音なのですが、普段から言っているように、僕は自分が全知全能とは思っていないし、自分の言動がすべて正しいとも思っていないんです。時の流れとともに、価値観が変わることもあるし、それが人間だとも思っています。

共感してくれれば嬉しいし、良いと思えば、その箇所が広まれば良いと思うし。だけど、僕は、僕の話に触れてくれた人が、何かを感じてくれたり、何かを考えるきっかけになってくれたら良いなって思っているんですね。

みんながみんな、僕と同じ意見になるようにマインドコントロールしたいわけではないんです、まったく。

だって、僕が「カレー大好き!」と言ったら、みんながカレーを好きになった……とか、変だし、気持ち悪いじゃないですか。なので、「カレーってなんだろう?」とか「日本のカレーとインドのカレーって違うよね?」とか、カレーに興味を持ってくれるきっかけになれば良いと思うけど、必ずしも僕の真似をして欲しいわけじゃないんです。

自分と同一の存在を大量生産したいという願望は僕にはないです。逆に僕も、誰かの影響を受けたりしながら、何かを感じたり、考えたりして楽しく生きています。なので、きっかけって、幸せへの第一歩だと思っているんですね。悪いきっかけもあるかもしれませんが、その辺の分別が身につけば、それはそれで良いのかなって思っています。

なので、必ずしも僕を好きにならなくても良いんです。自分の好きな人を大切に扱ってあげてください。それでも、僕を好きと思ってくれる人がいたら、ホント、ありがとう。滅茶苦茶嬉しいです。

でも、人類全体を自分のファンにしようとか、そういうのは、やっぱりないです。そこまでモテなくて良いというか。

逆に、万人ウケを狙ってみんなに好かれようとすると、それこそアイデンティティが崩壊しそうな気がするんですが、どう思いますか。

ある程度モテたら嬉しいですが、モテまくる必要性は、実はそれほどないんじゃないかって僕は思うんです。

  

少なからずアンチはいると思っていた方が気が楽。

  

 万人にモテなくても良いんですけど、万人にモテていないと、どういうことが起こるかというとアンチが出現する可能性があるってことです。

これね、イヤですよね。「反面教師も教師」とは思いますが、ずっと関わり続けたくはないんですよね。とはいえ、人間って、まったくアンチがいないっていうのも難しいんですね。大なり小なり敵はいるというか。

ただね、関わらなくても問題ないアンチに意識を奪われる必要はないんです。アンチの言い分も気になるし、それが何らかの学びにつながる可能性はありますが、心身を摩耗してまで、アンチの言い分に無理に共感する必要はないです。そして、必要以上に戦う必要もないんです。

RPGとか、やったことがある人はわかると思うんですけど、敵が現れても必ずしも戦わなくちゃならないわけじゃないですよね。先制攻撃をくらってダメージを受けることはあるかもしれませんが、だからといって必ずしもやり返す必要はないわけで。その気になれば、逃げちゃって良いんです。回り込まれたら、それはそれで対処が必要だけど。

アンチを味方にする。アンチをスルーする。アンチと戦う。選択肢はいくつかありますが、その都度、自分の人生にとってどの判断が最適解なのかを考えてみると良いと思います。ただ、仮に自分が強かったとして、なんでもかんでも敵を倒せば良いというわけではないと言っておきます。

憎しみは憎しみを増幅させるし、悲しみは悲しみを増幅させる場合もあります。

病的なアンチにでも目をつけられたら本気で逃げるか戦うかって感じですが、そうじゃなければ、「○○さんに、××って言われて心が折れた」とか、いちいち過剰な反応をする必要はないです。「そういう考えもあるんだなー……。でも、少なくとも今の自分には受け入れられそうにないなー……」程度の認識でスルーでも大丈夫だと思います。もしかしたら、数年後に、ふと理解できたり、共感できたりするかもしれません。わざわざ必要以上に険悪になる必要はないですからね。

  

相手を必ずしも支配する必要はない。
 

子供の頃、誰にも相手にされなかったから、その反動で、無条件にチヤホヤされたい願望が強くなってしまった、とか、気持ちはわかりますよ。モテ論に限らず、幼少期の反動って大きく出ますからね。

ただ、だからと言って「相手をコントロールできれば、支配さえできれば、自分は傷つかなくて済む」という発想にはならないでくださいね。寂しいですから。

一時的には、そういう願望が満たされるモテ期がくるかもしれませんが、相手を思いやる気持ちを持っていないと、ファンは減っていきますからね。最悪、アンチが無駄に増えます。

本当に大切なことは自分や他者を大切に扱うこと。でも、自分が全員を好きになる必要はなく、逆に自分がみんなに好かれる必要もないんです。

時には対立関係になっても、必要以上に相手を追い詰めたり、傷つけたりしないことが大切です。自分は自分。相手は相手で、きっとステージというものがあって、学びの質も量も違うんです。

結局のところ、人間関係というものは、固定ファンもいるかもしれませんが、流動的なんですね。ずっと同じ人間関係ってないと思うんですよ。だって身内だけで固まっているわけじゃないし。身内だって、みんな、ひとりひとりの人生があるんだし。

だから、モテるにこしたことはないけれど、一期一会って言えばいいのかな。たとえご縁が一瞬でも、その人の幸せを願ってあげられる人に自分がなる。そういう人が増えれば、世の中平和になるんじゃないのかなって思うんです。自分だけが特別にモテまくらなくても。

そして、少数だとしても自分を好きと思ってくれて、大切に扱ってくれている人がいたら、感謝する。この気持ちを持ち続けることが人生の成功への一歩だと僕は思っています。

いつも、僕の記事を読んでくださっているあなたに心から感謝します。

  

  

《ココロセラピストTATSUMI さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/%E5%B1%B1%EF%A8%91%E9%81%94%E5%B7%B3/?c=6713