人はバトる。
気が付けば、誰かと誰かがバトるしている気がします。
殴り合いとか、そういうことじゃなくても。マウントを取るとか、そういうのもそうですよね。
スケールが小さいものだと、目が合っただけで相手に睨まれたと因縁をつけるとか。
最大級のスケールだと、それこそ戦争ですよね。
とにもかくにも人って有史以来、争いがなかった時代なんてあるのでしょうか。
というか、ないんですけど。
バトる本能。
イジメもそうです。
イジメのない時代なんてないんです。
おそらく、これからもイジメをゼロにするっていうのは、不可能に近いと思います。
本能ってあるじゃないですか。生きるために。
そうです。生きるためには自分が優位な立場であることを証明しなければならないんですね。
大昔を想像すればイメージしやすいと思います。食うか、食われるか、みたいな。
人間同士の話じゃないですよ。
でも、世の中って弱肉強食じゃないですか。だから、攻撃って大事っていうか。
現代人は、道端を歩いていて野生動物に襲われるなんてことはないので、簡単にやられてしまうことはありません。
人間同士なら平和にやっていけるんじゃないかって思うかもしれませんが、それもまた難しいんですよね。
ストレスの多くは人間関係でしょう。
仕事だって人間関係が良ければ多少辛くたって耐えられると思いますよね。
退職理由は、建前としては「家族の都合で……」とか、テキトーなことを言いますが、実際は、ものすごく苦手な人がいるとか、パワハラが酷いとか、そういうことだと思うんですね。
学校もそうですよね。
「みんな平等だよ」的な教えはあると思いますが、テストの点数で人生って大幅に影響を受けちゃうじゃないですか。才能や、環境は人それぞれ違うし。
そうすると学歴至上主義的な人からすれば、テストの点が自分より高い人がいたらハッキリ言えば邪魔な存在なんですよね。お互いに、ライバル意識をもって恨みっこなしで競い合って楽しめる人たちなら良いですけど。
でも、受験なんて、点数が取れない人は落とされちゃうわけで。
命までは取られませんが、少なくとも現代では有名高校、有名大学卒のブランドがあった方が優位だし、モテるわけです。
人って、仲良しに見えても、実はどこかで競い合っているっていうか。
競うのが悪いってことじゃないですよ。
ただ、僕みたいな勉強が苦手な人からすると、劣等感だけが強くなって、QOL(人生の質)が下がっちゃう。(※今は、開き直っているので、それほど気にしてないですが……。)
学校でも会社でもボス的存在の人がいるのも脅威ですよね。良い方向に自分を導いてくれて守ってくれるならいいけど。
じゃあ、なんてボス的存在になろうとする人がいるのかっていうと、自分が優位に立ってQOL(人生の質)をあげたいからですよね、きっと。
へーこらへーこらしたくないじゃないですか。
という具合に、生きているだけで、常に戦いなんですよ。こういう発想は、お勧めしないですが。
ちょっとしたコミュニケーション不足で揉めたり、敵対関係になってしまうなんて言うこともありますよね。
きちんと話し合えば、そうならないのに。
それって、自分にも言えるけど、相手の立場や状況を察してあげられていなかったりすることがあります。
逆に、常に察してくれないとキレる人もいます。
自己主張が強すぎたり、あるいは卑屈過ぎて、物事を悪く受け取る癖があったりすると、トラブルに発展しやすいんです。
内容そのものは大したことがなくても。人間関係に溝ができちゃうんです。
良い人がいたとして、何かをしてくれても、卑屈な人が「恩を売る気だな……」なんて思って警戒しまくっていると、人間関係にひびが入ってしまいます。
一方で、善意のふりをして、本当に恩を売ったりして、本当は裏がある人もいます。
劣等感故に、攻撃的になりすぎたり、卑屈になりすぎたりってこともありますよね。
攻撃的になってうまくいけば優位に立てるし、卑屈になれば被害者面できるし。
どっちも無駄に思えるんですけど、人って何故か、こういう身の守り方をするんですよね。
僕自身、時々、どっちもやってしまって、後で気づいて凹んだりします。
でも、たぶん、それの根源的なものって本能なんです。
理性。
じゃあ、本能なら仕方ないっていえるのか。
言えませんね。本能剥き出しで生きていたら、少なくとも、結果的に高いQOL(人生の質)は手に入れられません。
また、本能を全否定すればしあわせになれるのか。
世の中から争いがなくなるのかっていうと、そういうわけでもありません。
危機感がない、緊張感がない。
そんな生き方をしたら、現実には危険がいっぱいなので、自分の心身を守れなくなってしまいます。
なので本能的に身を守ろうとしたり、戦おうとしたりするのは大事なんです。
僕たちは人間という動物なので本能は大事です。
でも理性もちゃんと持っています。
自分が優位に立ち、相手を下の立場にすれば万事OKという発想を、もしも、あなたがもっているのであれば、それは直ぐに捨てるべきです。
人生の勝者、人生の成功者って何かでNo.1になることじゃないんですよ。
安心や安全を手に入れて、生きている充実感が得られて、感謝の気持ちが湧き出てくるような状態だと思うんですね。
みんながみんな平等がいいね、とか、そういう話ではなくて。敢えて自分が一歩引いてみる。相手を立ててみる。相手を勝たせてみる。
それが結果的に最適解だということもあるでしょ、っていう話です。「俺が正しいんだ!」「私は間違ってない!」とか、いちいち感情むき出しでバトる必要ないんです。
かけひき、というと悪いイメージかもしれません。
しかし誰かに損をさせる駆け引きではなくて、双方にとって結果的に損がなくなるようにするためのかけひきだったら、やってみても、良いと思うんです。
たとえば、いつも強気の誰かが弱気になっている。
ここぞとばかりにマウントを取るのではなく、そっと手を差し伸べてあげるとか。恩を売ることが目的じゃなく。
逆に、誰かが何かをしてくれたら「裏があるな?」と思うのではなく、大げさなくらい感謝してみるとか。
その結果、どうなるかはわからないですが、無駄な争い減らせると思うんですよ。
「美味しいところを持っていきやがって……」とか、「いつも私は立場が良くない気がする……」とか、屈折した解釈をしないで。
もちろん警戒心は大事ですよ。
素直過ぎると、利用されるし、騙されるかもしれません。人生って、そういうものですから。
でも、それだけでもないんです。
明らかに自分の人生にとってマイナス過ぎる存在確定なら、必要以上に攻撃せずに、極力距離を置くといいでしょう。
「それができれば苦労しないよ」と思うかもしれませんし、その通りかもしれませんが、可能な限り、です。
わずかでも打撃を回避できれば、その先の策も閃くかもしれません。
時には争うことも大事だし、望んでいなくてもバトってしまうこともあるかもしれません。
でも、火に油を注ぐ必要はありません。
リスクを最小限にする工夫は、できるかもしれません。
人はバトります。
でも、バトればいいわけじゃないんです。
リスクを最小限にする意識を持ち、結果的に自分の身を守り、相手に損をさせない方法を常に考え続ける習慣を身につける。
そうすると、必要以上にバトらず、QOL(人生の質)を向上させられるんじゃないかなと思うわけですよ。
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