ココロセラピストが語る! 『痛みから学ぶ』とは?~はい。かれこれ一週間ほど苦しみました~

痛み

 

シン・ウルトラマン

 

『シン・ウルトラマン』という映画を観ました。ウルトラマンは、子供の頃大好きで再放送を観て楽しんでいた記憶があります。でも、子供だったので、見た目がカッコいいとか、圧倒的な強さがカッコいいと思う程度で、詳しいエピソードはほぼ忘れていました。

 

今更ではありますが、ウルトラマンって優しいなと。地球や地球人の事が大好きで、一生懸命、怪獣(禍威獣)と戦ってくれて。

 

ときどき僕は自問自答をします。それは「もし、自分がスーパーヒーローのようなパワーがあったら、地球のために無条件で戦うだろうか?」ということについて。

 

そのたびに数秒考えて「NO」という答えに辿り着いてしまうんですね。理由は、自分の命を懸けて、自己犠牲の精神で守るほど、地球や人類に価値があるとどうしても思えないからです。

冷めてるんでしょうか。「ま、地球が滅ぶような事態になってる時点で、もう受け入れるしかないよね……」なんて思っている自分がいます。とはいえ、実際にそういう場面に出くわしたら、あの手この手と対抗手段を考えるかもしれないですが……。とにかく、どうにもならない時ってあるじゃないですか。情けないけど、泣くしかない。

 

ちょうど一週間ほど前、僕は風邪を引いた。

 

たぶん、寒暖差と仕事の疲れが影響したんでしょう。ある日、突然、信じられない頭痛が僕を襲いました。大ピンチ。「ピンチはチャンス!」なんて思う余裕もありません。

たぶん、これ、僕だけじゃないと思うんですが「嗚呼、仕事、どうしよう……」ってなるんですよね。ひとりで、どうこうなる仕事だったら遠慮なく休むんですが、仕事の関係上、関係者が著しく困ってしまうという場合は、選択肢がないというか。「立てるか?」「歩けるか?」「よし、なんとか立てる」「ゆっくりなら歩ける」「作り笑顔はできるか?」「マスクだから問題ない!」「コ〇ナ疑惑をかけられるんじゃないか?」「自分自身を徹底的に騙せ。気丈に振舞え!」という無意識の自問自答が繰り返され、気が付けば仕事に出かけてしまっているんですよね。

症状は、その時は頭痛だけだったのでよかったのですが、とにかく頭が割れそうでした。結果、無理がたたって一週間近く回復に時間がかかっている次第です。

 

自己肯定感とか、どうでもいいから。

 

「自分が休んでも仕事は回る」なんて思ってしまうと、急に自己肯定感が下がってしまう人がいます。あのね、そんなのどうでもいいですから。自分がいないと仕事が進まなくなってしまほど特別なスキルを持っていて優遇されているのだとしたら、逆に一日二日休んだって許されるし、誰かが可能な範囲で必ずフォローしてくれますよ。

大抵の仕事ってね、酷な現実を突きつけるようですが、僕やあなたがいなくても回るんですよ。そして、日はまた昇るんです。

 

僕は言われてないけど「あなたがいないと困る。辞めないで! 休まないで!」なんて言ってくるような会社は、人件費をケチっていていつもギリギリの人数で仕事を回している可能性が高いです。そして、「あなたは必要な人材なのよ」なんて甘いセリフを吐きながら、安くて辛くても働く社畜として、必要視されているだけです。だから、そういうことで、いちいち自己肯定感がどうとか、考えなくていいです。そこで休んで、イジメが起こるような会社なら、いますぐ辞めてしまいましょう。残念ながら、あなたがいなくても大丈夫だし、まず潰れないから。

 

……って、自分ではわかっているし、僕自身が誰かに本気で期待されているわけでもなんでもないことも理解しているのですが、ほぼ反射的に休むという選択肢ではなく、仕事という選択肢を選んでしまっていたんですね。

 

痛みから学ぶ。

 

あからさまに無理して頑張って、体調をますます崩してしまったわけですが、それはそれでいい教訓になりました。

 

人って、いつでも元気でいられるわけじゃないってこと。これ、ついつい忘れてしまうんですよね。自分が元気だと、周囲の人も元気で当たり前というような態度で接してしまうけれど、実は自分は元気でも他人は何らかの理由で心身が弱っているかもしれないんですよね。

 

そんな時「そっと、優しい手を差し伸べてくれる人いないかな……」なんて思うわけじゃないですか。察してくれて、助けてくれる人。そういう人がいると、本当に神に見えますよね。カッコいい。

なので、もっと日頃から自分の事ばかり考えず、もう少し自分以外の人たちにも意識が向けられたらカッコいいな、なんて思ったのでした。

「なにか、僕に手伝えることはありませんか? 無理していませんか?」って。もちろん、人の善意を利用するハイエナのようなエナジー・ヴァンパイアのような輩も世の中にはたくさんいるので、そういう人は容赦なくスルーで。

 

今回、僕に優しい言葉や態度で接してくださった方々に対する感謝の気持ちも改めて持つことができたので、これは痛みから得られた戦利品だと思います。

 

そして、なんだかんだで、無理せざるをえないであろう環境がそこにあることも問題だよなって気が付きました。自分であれ、仲間であれ、誰かが自分の健康にうそをつき、元気なふりをして心で泣きながら、必死で立っていなければならないとか、辛いじゃないですか。

 

いつでも、どこでも、誰もが元気なわけじゃない。これを頭に叩き込む必要性があるなと。そうすれば、いざという時、誰も困らない。あるいはリスクを最小限に食い止められるかもしれないです。

 

『防災』という括りに入れて良いと思うんです。地震、家事、不審者対策以外にも。意識高い系っぽく言うなら突発的ヒューマン・リソース欠乏時における業務運営対策。可能なら、どの会社も、訓練してみると良いかもしれません。

 

元気が一番

 

なんにせよ、人間って無意識で動いてしまうというか、特に日本人は自動的につらくても働いてしまうというか。ずる賢い人だけが楽して稼いでいるとか、あるんでしょうね。全員とは言わないけれど。でも、そんなに無理しなくても、変な自己肯定感概念に執着しなくても、自分たちの心身を「弱らせない」「悪化させない」「すぐに休ませることができる」という意識を持ち、健康をきちんと持続できるように暮らせる方法をみんなで探して行きましょう!

 

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