日常は音を立てて崩れた。
今朝、仕事の前にネットを見ていた。すると、とてもショッキングな出来事がありました。
一瞬自分の目を疑い、目をこすり、二度見してしまいました。
と、前振りなんですが、個人的には本当にショックでした。
『「チェブラーシカ」オフィシャルサイト終了のお知らせ』という文字です。
僕の記事をいつも読んで下さっている方は、僕が如何にチェブラーシカが好きかをご存じだと思います。
チェブラーシカの話を熱く語りたいところですが、今回のテーマとはズレるので、機会があればぜひ。
チェブ好きの方はぜひ、メッセージをこっそり下さいね。
日常は続くという思い込み。
僕にとってチェブラーシカはいつも身近な存在です。
毎日、チェブラーシカのぬいぐるみに心の中で挨拶をしてから仕事にでかけているほど、身近な存在です。と言っても、関係者でも何でもないんですけど。
身近なものが消えてしまう、何とも言えない気持ちって、とても辛いですよね。
他人にとってはどうでもよくても、自分にとっては重要なことってたくさんあるんですよね。
一番最たるものは身内の死だと思います。
いつも元気でいて当たり前。傍にいて当たり前。そう思っていたのに、ある日を境に急にこの世から消えてしまうんですよ。
僕は両親とも他界してしまっていますが、本音を言えば未だに割り切れていません。それを隠すつもりもありません。
チェブラーシカから急に身内の死に関する重い話になってしまいましたが、大なり小なり、毎日変化は起きているってことなんです。
「どうせ、明日も今日と変わらない日が来るんだろうな……」っていう感じで生きている人が多いと思います。
でも、違うんですよ。毎日、何かしら変化しているんです。望もうと、望まなかろうと。
〇〇ロス。
よく『〇〇ロス』という言葉を耳にすると思います。
たとえばペット・ロスとか。ペットが亡くなったら、飼い主の心身に不調をきたして、それがしばらく続くとかいうものですね。
専門用語的な用法ではなくても、『〇〇ロス』という言葉は好きなマンガの連載が終わって、悲しみが消えないという比喩的な表現としても使われますよね。
このロス(喪失体験)をするたび、悲しい気持ちになりますが、これってきっと誰でも体験していることだと思います。
度々自分を例に出して恐縮ですが、知人友人をネタにするより罪の意識が薄いので自分を例に話します。
たとえば、大好きだったお店がなくなると、とても悲しいんですね。
子供のころからずっと通っていたスーパーが無くなったりすると、何年経っても、その記憶が残っているので、今でもちょっとだけ切なかったりすることがあります。大型デパートもそうですね。
自分の生活圏に密着した存在なだけに、無くなってしまうと悲しいんです。
その跡地に、良いお店ができたから良かったね、という気持ちもあります。でも、それはそれ、これはこれなんですね。
特に幼少期から青年期にかけて深く関わっていた土地の雰囲気がガラリと変わってしまっていたりすると、本当に言葉にできない気持ちになります。まるで自分の青春時代が消されてしまったかのような。
そもそも、僕に青春時代なんてあったかどうかなんて、わからないんですが。
浦島太郎。
浦島太郎の作者って、そういう意味では本当に深い人だったんだなと思います。
家族も、友達も、乙姫さまも、住んでいた家も、何もかもが過去のものになってしまっていて、自分だけが取り残されてしまったあの、残酷さ。強烈です。
浦島太郎は、玉手箱を開けてしまったから、そういうことになってしまったわけで、ある意味、自業自得だと言う人もいるかもしれません。
でも、そんな危険なものを浦島太郎にプレゼントした乙姫さまだって、ちょっと問題アリな気もします。
疑いだしたらキリがありませんが、そもそも、普通の人間を海底世界に連れて行った亀も怪しいと言えば怪しいんです。
なんというか、開けざるを得ない要因が要所要所にあって……という気がするんですね。
何が言いたいかというと、僕たちは玉手箱を持っていないけれど、勝手に変化は訪れるってことなんです。
人は変化を恐れる。
人間は変化を恐れる生き物です。特に僕はそうです。
理由は簡単です。人間は未知なる脅威を恐れているから、急激な変化を特に恐れるんです。
未知なる脅威にぶち当たったとき、どう対処して良いかわからないですからね。本能なんです。
たとえばブラック会社だとわかっていても、なかなか辞められないじゃないですか。なんだかんだ理由をつけて。これも、「これ以上、ブラックな仕事に就いてしまったら対処しきれないかもしれない」と思うからですよね。
今、ブラックでも、なんだかんだで生きていられてるから、実はこの日常こそが正解なんじゃないかって勝手に思い込んだりして。
僕は、良いのか悪いのか、根性がないので、イヤだと思って自分の中のボーダーラインを越えたら容赦なく辞めてしまうんですけど。
その問題に正解はないんですよ。僕は辞めてしまう派というだけで。
仕事を失うということは収入を失うということ、更に世間的には履歴書が汚れたと見なされます。
それって先入観や偏見の問題だと思いますが、先入観や偏見の目で見てくる人が多い現実も受け止めて覚悟する必要があるんです。
これもビジネス系の話であるあるなんですが「リスクをとれ!」と言われていますよね。
これも、ちょっと冷静に考えて欲しいんですが、ハイリスクだからハイリターンになる可能性が高いってわけじゃないですからね。ハイリスクな割にローリターンな場合だってたくさんあるんです。
何もせずに、何の責任もなく大成功をおさめるというのは難しいと思います。
やはり、どこかで覚悟は必要だと思うんですね。
でも、覚悟と無謀って違うんです。ここは誤解してはいけません。
仕事もプライベートもそうですが、結局は、如何に現実を受け止め、覚悟を決めて選択し、行動するかがすべてです。
そして、後は運を天に委ねるのみなんですね。
コロナ渦の風潮。
コロナの時代に突入したから世の中は大きく変わりました。
ここでは、良いかどうかの話はおいておきつつ話を進めますね。
今の時代って、マスク必須じゃないですか。
繰り返しますが、議論する気はないですよ。でも、マスクの話題を出しただけで議論になってしまうとか、炎上してしまうとか、誰かに狙われてしまうんじゃないかという不安がよぎってしまうような時代になったのは事実なんですよね。
僕も、毎日、マスクを着用しています。表向きはコロナ対策です。
でも、本当は世間の目を気にしているからつけています。
少なくとも世間が嫌がることをしなければ、極端に世間を敵に回すことはないと思っているので。
と、建前と本音を使い分けて暮らしている人って実はたくさんいると思うんですね。
自己弁護ですが「マスクなんかする必要ないからね!」と言っているわけではありませんからね。
「わからない」って思っているだけです。
マスクを毎日つけなくちゃならない時代が来るなんて、想像したことさえありませんでした。
でも、ある日を境に急に環境が変化してしまったんです。
自分の努力とか日頃の行いとか関係なく、そういう時代は容赦なくやってきてしまったんです。
マスクをつけずに歩き、好きな時に、好きな場所に行けるという、つい最近まで当たり前だった日常がもはや過去なんですよね。
僕たちはたくさんの物を得られるが、失っていく。
まとまりのない話で恐縮ですが、僕たちの人生はたくさんの何かを得られますが、たくさんの何かを失い続けているんです。
最初の話に戻すと、チェブラーシカのオフィシャルサイトが消えてショックだったという話。
これ、オフィシャルが消えるってどういうことなのかって、考えれば考えるほど不安になるんです。
でも、考えても仕方のないことって考えても仕方がないんです。
自分の決断や行動で変えられそうなものは考える価値はありますが、どうにもならないことって考えてもしょうがないんです。
諦めというより、受け入れなきゃならないんですね。
でも、同時に、今までオフィシャルとして頑張って来て下さった方々がいるから、僕の心は常に満たされていたんだなって、改めて思ったんですね。
僕が子供のころから使っていたスーパーも、青年期に愛用していたデパートも。
それらが存在してくれたからこそ、僕の生活は助けられていたんだと思うし、楽しい想いができたんだと思います。
『ロス』はとても悲しく、切ない気持ちになります。
しかし、それでも僕たちはまだまだ生きていかなくちゃならないんですね。
だからこそ、現実を悲観するだけでなく、今まで当たり前だと思っていたことに改めて感謝して、前に進んでいきたいんですね。
今、この瞬間にも、仕事を失ってしまった人とか、友達と縁が切れてしまった人とか、大事な何かが壊れてしまったとか、いろいろな人がいると思うんです。
僕は、それを軽視して楽観的に未来をイメージしろとは思いません。
悲しみも、切なさも、大事な感情です。同時に、それが感謝できる対象であるなら、それを心の中で感謝してみてください。
そして、そこから、感謝に関係する何かを学べたら、自分の人生の中にそれを取り入れてみてください。
僕やあなたを支えてきてくれたすべての物事に感謝しつつ、僕たちの未来が少しでも良くなるように、共に成長していきましょう。
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