記憶力の悪かった僕の記憶がさらに……。
自慢じゃありませんが、僕は記憶力がはっきり言って悪いです。
と、自己暗示をかけるような発言 はしても仕方がないのですが、ネタとして書いておきます。
記憶力が悪いので、記憶できないことを無理に記憶しようとしたりはあまりしないようにしています。 「今を生きる!」と言いたいわけではないのですが、最近は機能の記憶さえ怪しくなっています。
物忘れが酷い、ということではないと思っています。アバウトな表現ですが、ほとんど思い出に何も残ってないんです。
生まれた頃の記憶がないとか、小学生のころの記憶がないとか、そういう話はよく聞くのですが、最近の話を忘れるというのは、そんなに考えたことがなかったんですね。
ジャネーの法則?
僕の記憶力の悪さや最近の思いでの少なさと関係があるかはわかりませんが、ここでひとつトリビアを。
人生のある時期に感じる(心理的な)時間の長さは年齢の逆数に比例するという話を聞いたこと がありますか。これを『ジャネーの法則』と言います。自分で言っていて意味が分からないので、言い直すと、「年をとればとるほど時間がたつのが早く感じるなぁ……」ということです。
冷静に考えてみると僕の記憶力が問題というよりも、気が付くと時間が経過していることが多いこ とが問題な気もします。
年末が近づくたびに「光陰矢の如し」とか言い出す僕ですが、確かに毎年、時間の経過が早くなっている気はします。こわっ……。
閑話休題。どんな人生を歩んできたか思い出してみた。
ものすごく個人的な、どうでも良い話をすると、幼稚園に入る少し前くらいの頃の記憶は、パンを売りに来るトラックが近づいてくる音楽が聞こえてくると、母に「コーヒー牛乳を買って!」と駄々をこねて、パンとコーヒー牛乳を無理やり買ってもらっていたという記憶が残っています。
幼稚園の頃は入園式だったか、当時の僕は「ここは自分の居場所じゃない……」と感じて、こっそり抜け出そうとして、よちよち歩き風に移動してあっけなくバレたような記憶が漠然と残っています。これが事実なのか、僕の勘違いした記憶なのかはわからないのですが、何故かその感覚だけはリアルに残ってるんですね。
小学生の頃は、休み時間に無理に外で遊ぶ意味が分からず(外で遊びたいときは別ですよ。)、 教室に残っていると具合の悪い人と勘違いされて外に促されるのが嫌でした。なので、仕方なく外に出て鉄棒でコウモリ? をして世界を逆さまに見ながらひたすらボーっとするとか、上り棒の天辺から運動場をボーっとしながら眺めていたりしていました。
中学校は、幼稚園の頃よりも「ここは自分の居場所じゃない」と強く思い、とにかく早く卒業するなりして出ていきたかったのを覚えています。ちなみに、脱走はしていません←わらうところ。
高校は、スクールバスがいつも満員ですし詰め状態でした。なので友達たちと、数十分歩いて一 緒に帰宅していました。普段運動しないので、今考えるとある意味健康的だった気もします。
大学時代は、とにかく友達と遊んでいました。特に夜中。勉強は……小学生のころから、得意ではなかったので最低限くらいしかしていなかったかもしれません。お父さん、お母さん、ごめんなさい。
……と二十歳頃までの記憶は案外残っているんですよね。僕以外の方もそんな感じだったりします か。「そうでもないよ。常に記憶や思いではあるよー」という方、その他、時間の感覚について思うことがある方は、ぜひ教えてくださいね。
というか、「疲れた……」というのが本音。
大人になるとライフイベントが増えたり、社会的責任が重くなったりするので忙しくて、時間の経過が早く感じるのはあるあるだよね、なんて話も聞いたことがあります。
例えば、学校を卒業すると就職という試練が待ち受けています。数年経つと結婚したり、それに伴い、引っ越しをしたりなんて人もいますよね。その流れで、子供を授かったり。そこから先は、子育てがしばらく続きますよね。子供が自立するまで。その間に、職場でも異動があったり、出世競争に巻き込まれたり、いろいろありますよね。親も年を取ってくるので介護が必要になったり。本当に、いろいろ忙しすぎて自分の時間が取れないのかもしれません。
えっと、僕、ほぼその例に当てはまらないんですけど。真面目に生きているつもりではあるんですが、一般的な人生のレールからは完全にズレてます。決して、それを望んだわけじゃなくて。そもそも、僕は流されたいタイプだし。←自信満々に言うことではないです。
周囲からはのらりくらり自由奔放に生きているように映っていると思うんですが……いえ、実際、そうなんですが……気が付いたら、記憶がないんですよ。思い出も。
のらりくらりはしているんですけど、気が付くと疲れて寝てるんですね。これって、つまり、時間の使い方に改善の余地があるってことですよね。
自分の意識がしっかりしているときは、時々、自分をふとしたタイミングで振り返って軌道修正するんですが、そういうのが忙殺されて、気が付くと寝てる。起きても回復してない。この繰り返しだと、本当に負のループです。
年齢とともに体力も当然変化してきますものね。ペース配分考えないと、持久力なくなってしまいますよね。
とはいえ、人間社会で生きていると、いろいろと人間によって厄介事に巻き込まれたりもするので、ある程度の妥協は必要なんですけどね。
ふと竈門炭治郎のセリフを思い出しました。
「悔しいなぁ 何か一つできるようになっても またすぐ目の前に分厚い壁があるんだ」
少しでも前進しようと希望と勇気をもってひとつひとつ課題をクリアしても、数日後には再び新たな壁にぶち当たってしまうんですよね、人生って。
僕は、もっとのんびり暮らしたいのでペース配分を考え直しますが、成長することを目的として生きるタイプの人なら、思い出が残らなくても、常に戦い、常に強くなる自分を追い求めるという生き方もあるのかもしれません。どちらが良いのかは、自分で決めて良いと思います。正解なんてないですから。
こういうふとした瞬間が大事!
なんかね、こういうふとした瞬間が大事だと思うんですよ。
「嗚呼、今、自分は感覚も麻痺して、ガムシャラに突っ走りすぎて来たんだな。既に息切れ状態じゃん……」って自覚できるこの瞬間。
そうなる前に予防できればさらに良しではあるんですけどね。
そんなに滅茶苦茶大変な偉業を成し遂げたのかっていうと、そういうわけでもなくて。
だとするなら、なおさら考える余地があるってことですよね。自分の支払った対価に見合っていないわけですから。
それはそうと、息切れ寸前でも、冷静さを取り戻して、呼吸を正常に戻せると、日常がまた充実してきますよね。
気づいたら、疲れ切っているときってあると思うんです。
だからこそ、気づいた時に、 深呼吸して、自分の頭や心を整理整頓してみてください。僕もします。
気づいた時が、軌道修正の時。落ち着いて、シン・呼吸。
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