ココロセラピストが語る! 『人間の悪意』とは?〜性善説と性悪説

あるいはイジメそのものは止められなかったが別の環境等で、同じようなイジメにあわないためには最初から悪(加害者)の立場でいた方が安全なのではないかと思いついてしまった場合です。

この二つのケースでは悪人になりたかったのではなく、身を守るために悪として生きるという選択肢を選んだのです。
しかも、理性的にそうなったというよりは、そうせざるを得ない状況だったという可能性があるので、決して心が弱かったとか、本質が悪だったとは言い切れません。

言っておくと必ずしも悪に染まったからこそ、自分に敵意を向けてきたり攻撃して来たりする者が減るという保証はどこにもありません。

人は同じ波長の人間を引き寄せるといわれています。
その説が正しいと仮定すると、自分が悪でいる間は悪(あるいは敵)が次々に現れます。
天下を取れたとしても必ず誰かが自分の座を狙って襲ってくるか、チャンスを狙って待機しているのです。
だから、悪に染まったから自分の人生から不安要素を必ずしも取り除けるかというと、決してそういうことではありません。
どうしても悪にならざるを得ないときは正当防衛の時くらいに留めておいた方が無難です。
正当防衛であれば生きるためにやむを得ないので悪であろうと誰も文句は言いません。

とにかく人は必ずしも好きで悪になっているとは限らないのです。「じゃあ、仕方ないよね」というもんだいでもありません。負の連鎖は気づいた時点で食い止めなければどんどん膨れ上がっていきます。

 

人は善になる?

だからこそもし自分が善だと思うのであれば、困っている人を助けたほうが良いのです。
助けてあげる事態も素晴らしいのですが、その人が悪人にならないように、そして負の連鎖が広がらないように食い止められるのです。

ただ善は善の連鎖を生みますが、それは若干難易度が高いです。
人は感謝を忘れる生き物だからです。
きちんと物事に感謝できる人は善に触れると感謝の心で自然と自分自身も善になっていきます。
しかし、感謝の気持ちの欠如している人は、そもそも善という概念に気づかないので影響を受けて善になるとは限らないのです。

善を増やすには小さいころから地道に親なり誰かが感謝の気持ちを学ばせることが大切です。
ただ感謝を履き違えて「借りができた」とか「恩を売られた」とか認識させてしまうと善の気持ちが育たなくなるので注意が必要です。

感謝の気持ちが欠如していたり、それこそ物事を「借りができた」とか「恩を売られた」とか解釈してしまったりする大人は、接し方が難しいです。
善行を受けると「恩を売られた」とか「負けた気がする」とかトンチンカンな解釈をしてしまうからです。
奇妙な解釈をされてしまうと善人も困ってしまうのです。

また悪の要素が強い人に善の心で接すると、その心を利用しようとする場合もあります。
いわゆる詐欺師がまさにその代表格だと言えるでしょう。
そこまで酷くなくても、ときどき要領のいい人や調子のいい人の中に狡賢い悪人が紛れていたりするのです。

『幸福の王子』という童話があります。
黄金の王子の像が主人公です。貧しい人たちに自分の体のパーツ(金目の物)を与えて助けていくという話です。
これぞ善の象徴とも言えると思います。

しかし現実的に、それをやるとどうなるかというと容赦なく救いを求める人たちが集まってきます。
そうすると、とても全員を救うことはできません。
場合によっては「あの人は助けるのに私のことは見捨てるんですか?」という話になってくると、その善行が結果的に悪人扱いされてしまいます。

自己犠牲の精神で善行を行って結果的に身ぐるみ剥されても悪人扱いされてしまっては本末転倒です。
『幸福の王子』ではなく『人を選んで助ける差別主義の偽善王子』というレッテルを貼られかねません。

突然ですが、個人的な話をします。
だから僕は決して自分は善人ではないと思っています。
少なくとも『幸福の王子』的な生き方は望んでいません。
そして本音をいうと、そのような生き方はお勧めできません。
一部の宗教家は「天国に行けますよ」と言うかもしれません。
しかし、現実的に考えるとなんとも複雑な気持ちになってきます。

とはいえ善人であってはならないと言っているわけではありません。
人を差別してはいけませんが、優先順位はあっても良いのかなと僕は思います。
自分の家族や恋人、友達を優先的に優しく接したり、時には助けたりするのは良いことだと思います。
それ以外の人を見捨てていいというわけではありませんし、解釈によっては、それは悪なのでしょう。
しかし自滅、または全滅してしまっては意味がありません。

これはタブーかもしれませんが、人は恩を仇で返す人もいます。
裏切る人もいます。利用価値がないと感じた時点で寝返る人もいます。
信じたくありませんが、それも事実です。
実際にこれをやられると本当に失意のどん底に落とされ、人間不信になってしまいます。
ということも頭の片隅に入れておいた方が良いでしょう。

世の中には本当にいろいろなひとが存在するのです。だから悪人は見捨てていいということではなくて、あからさまに自分にとって害を及ぼすであろう悪の予感がしたら、正直なところそっと距離を置いて深入りしない方が良いのかなという気もします。

ではどうしたら良いのか。
これは僕の解釈ですが「人間は善であり、悪である」という本質を受け入れて欲しいのです。

そして本当にやむを得ない時以外は悪にならないように心がけ、無理のない程度で善を小出しにする。
助けられそうな人がいたら気づかないふりをしないで手を差し伸べてあげる。
またはその人にとって必要な人材を知っているなら紹介してあげる。
関わることで自分自身がダークサイドに引きずり込まれそうな相手であれば、そっと離れる。

これで良いと思うのです。

無理せずに小さな善意を配り続けてください。
その小さな善意の連鎖をどんどん増やしていけば、おのずと世界は平和になると僕は信じています。

 

《ココロセラピストTATSUMI さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/%E5%B1%B1%EF%A8%91%E9%81%94%E5%B7%B3/?c=6713