ココロセラピストが考える!「親子関係が人生を台無しにしている」とは?

『劣等生』パターン

努力でたとえそれが演技であろうと何だろうと『優等生』になれればまだ良いのかもしれません。しかし、勉強もダメ、スポーツもダメ。それなりに頑張ってみたけれど、結果に結びつかない。

あれこれ考えた結果、とにかく自分の思った事を正直に言ってみよう。
そうやって生きた方が、きっと良いに違いない。そんなふうに考える人もいると思います。

そうすると、意見が親と食い違うと、とにかく怖い。ハッキリ言って戦闘になる。怒鳴り合いは日常茶飯事だ。もちろん親の言っている事が間違っていて自分が必ずしも正しいとは限らない。でも、コミュニケーションとは対話を通してお互いを理解していく作業なのだ。仮に、自分が間違えたことを言っていたとしても、親に怒鳴りつけられたり怒られたりしても、最悪暴力に発展したとしても次第に距離間は縮まって行くに違いない。昔の少年漫画のように、仮に殴り合いになっても、お互いが本気でぶつかりあえば、きっと分かり敢えて、仲良しになれる。それこそが人生の醍醐味なのだと。

しかし、このパターンは残念ながら結局は幻想で、ずっと平行線という場合もあるのです。
上手く行く場合もあるかもしれません。
「いつか分かりあえる」と信じて戦い続けているだけというパターンも多いのです。

なんとか自分の意見や気持ちを理解して貰おうと非行に走ってしまう人もいると思います。
でもそうすると『できそこない』のレッテルを貼られるだけです。
あるいは恐怖に怯え『引きこもり』になってしまうかもしれません。
「そうか。辛かったんだね……」という展開はまずやってきません。

そして、どこかでこんなふうに感じるのです。

「親子で円滑なコミュニケーションが取れないということは私は本当にダメな子なのかもしれない…」と。

 

機能不全家族

こういう話をすると「嗚呼、機能不全家族の話ですね?」というかもしれません。確かに、その通りなのですが、ここで解釈を間違えないで欲しいのです。

家庭内でのストレスが慢性的で生き辛さを感じているのは確かなのです。しかし先入観だけで解釈してしまうと、虐待を受けていたとか、ドラマチックな悪い環境があったのではないかと思い込んでしまいがちですが、必ずしもそうではないのです。

今の例は分かりやすくイメージするためにやや過激に事例を書きました(※フィクションです)。
ただ、重要なのは親の悪意の有無だけではなく、幼少期の子供自身がどう解釈したかもものすごく重要なのです。

 

結果的に怖がられる親

暴力やネグレクトはなくても、どの会話にも少なからず皮肉がこめられていたり、毎回、アゲアシを取られたり、ダメ出しをされていたり、冷やかされていたり、頭ごなしに批判されたり、「今のは何が悪かったと思う?」と自分に否があるのが前提のような質問をされたり……ということがあったら、やはり子供ながらに強い恐怖や不安を感じると思うのです。
たとえ悪意がなかったとしても。

言葉は強力なパワーを秘めています。
親を取り巻く環境では、それが普通でも、子供にとっては恐怖でしかない言葉使いも多々あるのです。
もちろん、非言語も。

この場合、親は「俺は普通にコミュニケーションしてるのに、子供が勝手に怖がっているんだ……」と思って我が子を「メンタルが弱い子」とか「変わった子」と思い込んでしまう危険性もあります。

確かに子供相手に必ずしも甘く囁くように話しかける必要はありません。
しかし、子供はコミュニケーション方法をまだ知らないのです。
だから、子供が怖がっている様子を見せたなら、子供が怖がらずに親とコミュニケーションを取れる工夫をするのも大事だと思うのです。

「なんか、うちの子、私の事を怖がってるっていうか、嫌ってるっていうか、避けてくるっていうか、懐かないのよね……」と思う前に、少し立ち止まって考えて欲しいのです。
実はタバコの匂いが大の苦手で実の親だろうと何だろうと臭くて近づけないだけかもしれません。

家族は社会の最小単位です。
だから、親が恐ろしい存在だと思われてしまうと、虐待をしていなかったとしても、子供は無意識に社会全体を「恐ろしい存在がウヨウヨしている世界」と認識してしまう危険性があると思うのです。