ココロセラピストが考える! 私はどうありたいのか? ~ 振り回されない人生を手に入れる ~

「私」というのは、結局は本当に実在するのかいまいちわからない幻想的な存在です。 そして、固定されたものではなく変化も常に起きています。

「自分を見つめる」とどうなるの?

ここで改めて「自分を見つめる」とどうなるのかという話をします。
最近流行りの言葉でいうと「ありのままの私」って何なのかということです。

逆に言うと「ありのままの私」を無視すると辛いということでもあります。
たとえば、仕事選びだってそうですよね。
やりたい事や向き不向きを無視して「お金がもらえればなんでも良いやー……」って選んだら、辛くないですか。
もちろん、やってみたら天職だったとか、ちょっと我慢していたら慣れて来て得意になったとか、そういうこともありますよ。
確かに仕事は必ずしも楽な物とは限りません。
でも、「好きだからこそ辛くても耐えられる」と思えれば楽ですよね。
この差って大きいと思うのです。
「私らしさ」が見えてくると、妥協点も含めて、いろいろなモノが見えてくるのです。

自分はインドア派なのに、自分をわかっていなくて、いつもボディビルにつきあわされていたら楽しくありませんよね。
これは別に「運動なんかしなくて良い」と言っているわけではありません。
アウトドア派の人に「BLの同人誌描こうよ!」って言われても困りませんか。
BLを否定して売るわけではないです。

もちろん、インドアにしてもアウトドアにしても、極端に線引きができるわけではなく、その比率は人によって違います。
でも、何も考えない人や、自分が何を感じているかを気にしない人は、匙加減がわからないのです。

ただ、自分が見えていない人というのは、自分を楽しませる、自分の人生の質(QOL)を高める方向性が見えづらいのです。

人付き合いは大事ですが、無理に相手に合わせなければならないということでもないのです。
どちらかといえば、自分が望む人間関係がわかっていれば、そういう人脈に切り替えて行った方が結果的にお互いのためになりますよね。

学校の部活もそうですよね。友達に誘われて特に興味もない部活に入ったら、楽しくないし、キツイし……ということだってあるわけです。
だから、入部する前に「自分との対話」が必要になってくるのです。
場合によっては「学校の中に、自分の望むものがない」ということもあります。
これは本当に大事なことです。
自分ひとりで活動したい人だっていて良いし、民間のクラブやスクールに入ったって良いのです。
場合によっては自分でメンバーを募ったって良いのです。

そもそも「何故、学校の作った既存の集団で課外活動しなければならないのか?」と思いますよね。
部活動の存在を否定しているわけではありません。
やりたい選択肢を学校が提供してくれるなら、それにしたことはありません。
でも、「ない」場合、無理に消去法で選ぶ義務って本当にあるのかなと気づいて欲しいのです。

これが「情報に振り回される」ということなのです。
自分は、何が好きで、何が嫌いで、何を食べたくて、何処に行きたくて、今、どう思っていて、結果的に何処に向かいたいのか。
そういうことがわかってくると、「私」の人生の方向性が見えてくると思いませんか。

自己哲学も含めて、人生観や、健康の概念、その他諸々。
同じ国に住んでいようと同じ地球人であろうと「みんな同じ」ではないのです。

「私」というのは、結局は本当に実在するのかいまいちわからない幻想的な存在です。
そして、固定されたものではなく変化も常に起きています。
でも、「今、この瞬間、この場所での私」がわかっていれば、少なくとも現時点の自分が何をしたら人生の質が少しでも高まるか見えてくるのです。

誤解の無いように言っておくとこれは「ワガママを貫き通して、他人の事なんか気にしなくて良い」ということではありません。
思い遣りの心は必須です。

でも、相手に振り回されたり相手の枠でガチガチに生きたりするよりは、自分を見つめて知ることで、どういう選択をして生きて法が良いと思うのです。
どう、折り合いをつけて行くかなども含めて見えてくるとだいぶ心が楽になると思います。

生き辛さを感じている人の多くは、周囲の強い影響を受け過ぎて自分自身の存在を確認する術を失ってしまったのかなと思うことがあります。

規範や常識も大事ですが、「私」というかけがえのない存在を自覚すること。
これが何よりも大切なのです。

 

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