中学生の女子が休み時間になると『集団トイレ』をしますよね。
少なくとも僕が記憶している限り20世紀ではそうでした。
ミラーニューロンや同調効果で排尿のタイミングがお互いにそろってきたというような可能性もゼロではありませんが、おそらくそれは『集団トイレ』の本質的な動機ではないと思います。
群れから離れる不安が根底にあると思うのです。
これは考え方のひとつであり絶対的なものではありません。
しかし本当は楽しくもなんともないのに誰かと行動を共にしなければならないという暗黙ルールが自分、もしくは自分たちにあるのだとしたら、それこそ『つるみさん』は気の毒な存在だとも言えるのです。
そう考えると必ずしも『ぼっち』ばかりが問題視されるのは筋違いなのかなという気がして来ませんか。
これは、どちらがマシかという優劣の問題ではなくバランスの問題なのです。
くれぐれも誤解しないで下さい。
誰かと一緒に行動するのは意味がないとか、仲良しというのはすべて幻想なのだから意味がないとか、そういうことを言っているわけではありません。
『ひとりでいる時間』と『誰かと一緒にいる時間』はどちらも大切なのです。
僕たちは、ついつい自分のものさしでモノゴトの価値基準をジャッジしてしまう癖があります。
しかし僕たちは冷静に考えてみればそうでないと気づくことができるのです。
状況判断が大事!
たとえば『愚痴愚痴星人』や『エナジーヴァンパイア』と一緒にいられますか。
苦痛ですよね。
少なくとも僕はイヤです。
それだけ想像できれば必ずしも誰かと一緒につるんでいなければならない訳ではないとわかると思います。
これは必ずしもコミュニケーション能力が高いか低いかの問題ではありませんよね。
だって『愚痴愚痴星人』は同じ話を何度も繰り返してきますし、話題を反らすことを許してくれません。
強引に軌道修正して来ます。
そして必ずネガティヴな結論に達するのです。
無理して傾聴しても何の解決にもなりませんし、ストレスが溜まってしまいます。
もし、そこに友情があるのであれば義理で相手をするのではなく本気でカウンセリングを勧めてあげた方が良いです。
それこそ友情だと思います。
ただそこまでの仲では無かったり、自分の力量を遥かに超えていたり、あるいは自分の仕事やプライベートに支障を来たすようであれば『つるみさん』になる必要はなく、率先して『ぼっち』になった方が良いです。
それに休憩したい時や、集中したい時はひとりでいたい場合もあると思います。
たとえ親しい人であっても、傍にいて欲しい時と、そうではない時ってあると思うのです。
食事中はひとりで静かに食べたいのに、無理矢理誰かと一緒に食事をするというのは結構苦痛です。
小学校や中学校は食事を食べる相手まで決められてしまっていますが、あれも何気に問題だと思うのです。
稀だとは思いますが、こんな話もあります。
職場のお昼休みに「ひとりで食事をしたい」と正直に話したら「私のことを避けてるんですか!」と本気で激怒する人が本当にいるようです。
これって典型的な『ぼっち』VS『つるみさん』ですよね。
「ひとりで食事したい」と思うのも「一緒に食事したい」も大事な気持ちなのです。
ただ、この場合での問題点は被害妄想です。
ひとりで食事をしたいと望む人は避けているとか嫌っているとか、そもそもそういう話ではないのです。
それに一緒に食事がしたいと望む人も、本当に一緒に食事がしたいのか、それとも休憩中にしか話せない話したい話題があるのかをハッキリさせれば、場合によっては食事に付き合ってくれるかもしれないのです。
人の顔を見ると眉間にしわを寄せて「あぁ~?」といって睨みつけて気だるそうに去って行くとか、そういう人でしたら、おそらく本当に嫌っているのかもしれません。
でも、そんな人と本当に一緒に行動したいかと考えればNOだと思うのです。
『ぼっち』や『つるみ』さんの問題は、ずばり空気を読む能力が問われます。
自分の気持ちを大事にするように、相手の気持ちも汲み取ってあげる。
たとえ意見が分かれても、お互いがそういう態度を意識していれば無駄にぶつかることはないのです。
《ココロセラピストTATSUMI さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/%E5%B1%B1%EF%A8%91%E9%81%94%E5%B7%B3/?c=6713