相性や多種多様な価値観があって良い!
相性って重要じゃないですか。最低限の協調性は必要です。ただ、最低限の協調性というのは、最低限のマナーをしっかりと出来ていれば良いと思うのです。あいさつが出来るとか、目上の人には敬語を使うとか、その程度で良いと思います。つるむ相手がいなければ、コミュニケーション能力が障害レベルだというのは、何か違うと思うのです。
『ぼっち』という概念も「寂しい人」的なマイナスな印象があるかもしれません。でも、親しくなれそうな相手がいなかったら一人の方が良いですよね。一人が苦手で妥協して相手のペースに合わせる側になっても、その方が安心するというなら別ですよ。
タバコが苦手な人は、休憩時間にみんなが喫煙室に行ってしまったら必然的に一人になってしまいます。確かにそれはそれで寂しい想いをするかもしれません。でも、だからと言って、喫煙室まで着いて行く必要なんてまったくありません。むしろ、そこまでして周囲に合わせる方がよほど病的に思えます。
確かに一緒にいる時間が長い方が打ち解けやすいと思います。でも、タバコが苦手で喫煙室に近づけない人は決して人間を避けているのではなく、話しかけるきっかけがないだけなのです。
タバコが好きであろうと嫌いであろうと、それは障害とは全く関係ありません。
初対面の人に緊張するのは当たり前。雑談が苦手な人もいて当然です。だって誰がどんな話題を好むのかなんてわかりませんし、あらゆるジャンルの話題について行ける人なんて滅多にいません。相手に合わせる能力が高くても、それが無理をしているとしたらそれは、コミュニケーション能力が高いわけではなく媚びる能力が優れているだけかもしれません。
「私、コミュ障なんです」といえば、誰かが優しく話しかけてくれるわけではありません。同時に『コミュ障』といえば、人と接しなくていい免罪符というわけでもないのです。
人と接するのが苦手な人は『人見知り』なだけかもしれません。人見知りは人見知りなりに、一生懸命コミュニケーションをとっているのですから、それに良いも悪いもないのです。苦手なモノは苦手なのです。
『苦手』と『障害』は違います。『障害レベルで苦手』という表現なら辛うじてわかります。ただ、その気になれば人と話をすることは出来るけれど「メンドクサイ……」という理由なら、それは障害とはまた違った問題なのです。
人と雑談するのが得意だから営業に向いているわけではないし、人に教えるのが得意だから人脈を広げるのが得意というわけでもないのです。無口でもカリスマな人には人が集まって来ます。そういうものなのです。
もし、コミュニケーションそのものについて改善したいとか、自分の性格に問題があるのではないかと思うのであれば、信頼できる専門家に相談してみるのが一番です。
わざわざ自分に『(自称)障害』というレッテルを貼る必要はありません。ところ変われば、それで十分通用するかもしれないのですから。
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